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2007年7月

休み明け

本日は一週間の夏休み明けの初日。
フィリピンのボラカイ島で青い海と空を眺めて数日過ごして頭の中がからっぽになり、その後マニラの暑苦しさに辟易、環境変化に適応しないまま帰国し、その後横須賀の両親の家に行ったり、日頃積んでおいた本を読んだり、ジムで運動したりと結構忙しくすごしたので、気持ちをいつもの「サラリーマン」に戻すのが大変。と言いつつ、出勤後たまった膨大なメールをさばいているうちにアッという間にいつものペースに戻ってしまいました。これから「暑い夏」を乗り切らねばなりません。やれやれ。

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国民総背番号制

年金問題は、ますます混迷の色を深めていますが、塩野七生さん曰く(文芸春秋八月号)「イタリアにくわしい人が言うのだが、今回の年金不明事件のようなことはイタリアでは起こりえないのだという。なぜかと聞いたら『Codice Fiscale』があるから。『コディチェ・フィスカーレ』とは、ひと頃日本中を騒がせた国民総背番号制のことである。・・・」とのこと。確かに、コンピューターシステムの構築を考えても、一人一人にユニークな番号が割り振られていれば、開発はすこぶるシンプルになりそうです。そういえばアメリカにも、ソーシャルセキュリティーナンバーというのがありました。

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収賄

収賄とはもともと中国の言葉で、金額的には、国家予算の半分ぐらいを私腹することを言うのだそうです。

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こどもアンサンブル・コンサート

久し振りに上野の東京文化会館に行き、小ホールで「こどもアンサンブル・コンサート」という催しを聴いてきました。1時間の短いコンサートで、今回はプロコフィエフの「ピーターと狼」をやっていました。楽器の紹介もあり、子供だけでなく大人も楽しめる内容。演奏家も若い人達ですが、楽しんでやっている感じが伝わってきました。子供たちが音楽にふれる機会を作るという目的だと思いますが、500円というチケットで、このくらいの手軽さで音楽が聴けるというのはありがたい感じがしました。

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歯ブラシ

ORAL Bという商標の歯ブラシがあり、とても使いやすいです。日本ではフィリップスと共同開発の電動歯ブラシを売っていると思いますが、単純な歯ブラシは出回っていないようで残念です。以前は海外に行くと、何本かまとめ買いしてきたりしてましたが、さすがにこの頃はそこまではやっていません。ただ、たまに使ってみると、ブラシの部分の材質のせいでしょうか、よく分かりませんが具合がいいです。

日本で面白いなと思ったのはKISS YOUという電池入りの歯ブラシで、マイナスイオンの働きで効率よく歯垢がとれるというものです。確かに効果があるような気がします。値段も手ごろです。

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マルチ商法

このブログはNIFTYの無料のツールを利用していますが、Sponsored Linkとして自動的に表示されるブログ、HPにはマルチ商法勧誘(ハーバーライフに関連するもの等)が相当多いです。記事の内容に、その手のサイトを引っぱってくるものが多いとも思わないのですが・・・。そのうち、自分できちんとサーバースペースをとってHPを立ち上げなければいけないかな等と考えています。

(上記の記事を書いた後、なぜかこの手のサイトが表示されることがめっきり少なくなりました。どういう基準なんでしょうかね?)

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隠れ家

今年の2月に自宅に屋根裏部屋を作りました。この家を作った公務店の社長さん(建売住宅ですが、建築会社の社長は昔気質の人で、買った後もなにかと面倒を見てくれてます)にお願いして趣味で作ってくれたようなスペースなのですが、経費節減したこともあり、木とベニヤ板が直に出ています。ただ高さが一番高いところで120cm程あり、一番下の子供であれば立っても平気、六畳弱くらいの広さがあります。久し振りにこのへやに登って(はしごで登ってもぐりこみます)この文章を書いています。

ノートパソコンを持ちこめば無線LANでインターネット環境も問題なし。意外に風が通って快適。人にきがねなく物を考えられる「隠れ家」的なスペースです。
10年以上前に群馬県に土地を手に入れ、そこにログハウスを建てようと思って、自分で間取りまで考えログハウスの会社から見積もりまでとったことがあるのですが、子供が独立するまでは東京に拠点を置くべきかなという理由と資金的な理由でその計画は今のところサスペンドになっています。
この屋根裏はログハウスとはほど遠いものですが、一応木の香りもするので、ちょっと昔のログハウスへの憧れのようなものを思い出したりできる場所になっています。

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隅田川花火

今日7月28日は恒例の隅田川花火大会。6時半ごろ家を出て自転車で浅草方面に向かい、第一会場の花火の見えるあたりまでいって1時間程見学してきました。全部は見られなかったのですが、数ある花火の中で印象に残ったのは、オレンジ色の滝のような花火がサーっと流れ、最後どうなるかなと思ってみていると、青っぽい色に変化して消えていった花火。その他のものも、やはり「余韻」が残る作品がいいなと感じました。パーンとはじけた玉が最後に色を変えながらおたまじゃくしが泳ぐようなトリッキーな動きをするものや、滝のように流れた花火が最後にパチパチとにぎやかな音をたててはじけるもの等々、日本を代表する花火大会の名に恥じないイベントでした。隣で一人で見ていた五十前後のおじさんが、「これはすごいなー」とか「これがミラーボール(プログラムがあり、花火の名前が分かるのです)か。えーっとミラーボールねえ。」といった独り言を実況中継風にズーッとしゃべってました。携帯電話で誰かとしゃべっているのかと思いましたが、間違いなく独り言。一見普通の人に見えましたが、言動はちょっと変でした。花火を楽しんでいることは間違いないようでしたのでよしとしましょう。

後日談・・・新聞によると、最後の5分が特に素晴らしかったということでした。帰宅途中で見ていません。もっと早く帰ってテレビで見ればよかった!

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引出し

「頭の中にいろいろな引出しを持っている。」という表現があります。広汎な事象について、相応の知識と見識を持つということですが、これは確かに大事なことのように思います。毎日毎日をなんとかしのいでいる生活ですが、その中でも努めていろいろな事に問題意識を持って物事を考える姿勢。それをその場限りではなく、頭の中で少しずつ整理し、かつ必要に応じて「引出し」から取り出して活かしていけるならば、より充実した人生が送れるような気がします。自分自身振り返ってみると、今まで何をやってきたかの証となるものが意外に少ないことに気づきます。そんな時、ちょっとライフスタイルを変える必要があるなと思うのです。

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性善説と性悪説

組織の中でコンプライアンスや事務手続に関するイシューについて、「性悪説にたって考えなければいけない」という言い方がよくされます。人は悪い事をするという前提で、それをどう防ぐかを考えなければいけないということです。
このような表現も分かりといえば分かりやすいのですが、性善説・性悪説といったことばを安易にこのような場面で用いていいのかという点では、ちょっと違和感を感じます。
ひるがえって私自身の感覚を言えば、やはり性善説に軸足をおいているような気がします。組織は最後は人と言いますが、どういう仕掛けを作ってもパーフェクトは無く、最後の一線を支えるのは現場の一人一人のモラルです。それぞれの持ち場のモチベーションを高く保つにはどうしたらいいのか。それを考える事が非常に大事だと思います。

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アジアの時代

時はまさにアジアの時代だと思います。
しかし、アジアと言っても、具体的にどういった定義で線引きできるのか、そのカテゴリーに実際にどういった国があるのか。単純なことですが、基本に立ち返ってみると、意外に自分自身分かっていないことが分かります。ちょっと自分なりに整理しておかなければと思っています。

問題意識としては、さらに自分なりの昭和史の理解と整理も不可欠だと思っています。先日フィリピンに旅行しましたが、旅先で話をした現地の人との会話でも、だんだん話が進んでいくと、どうしても戦争のことやアメリカの植民地であった時のことが避けて通れません。そこではやはり自分自身の歴史観の軸足がなければきちんとした話ができません。今まで日本史、世界史と学んできたものの、一番大事な「直近100年」といったスパンでの知識、理解が決定的に欠けているのを実感しています。
約100年というのは私なりの考え方ですが、人が実際に生きた人から話を聞けるのは、せいぜい祖父母あたりの年代までということです。その人の価値観はそこからかなりの影響を受けるものだと思います。諸外国の人々も然り。彼らが吹き込まれている考え方のバックグラウンドとなっている約100年前後前までの歴史について、確たる認識を自分で持っておくことは大切なことだと思うのです。

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中国語の中の日本語

日本語の文章で、漢字を訓読みにする場合は大和言葉、音読みにする場合は漢語というのがおおまかな見分け方のようです。

やわらかい情緒的な表現の時は訓読み(大和言葉)で、気持ちを高揚させるような表現は音読み(漢語)の含有率が高いといいます。

漢字と日本語の関係で一つ興味深く思ったのは、現代の中国語の中には欧米文化を明治時代を中心に日本人が漢字に訳したものがそのまま取り込まれていることです。私が上海勤務中に気づいただけでも、医学関係の言葉などはかなり日本語の漢字がそのまま中国語の中で使われています。中国がかつて欧米の近代文明を日本経由で吸収していったということが容易に読み取れます。

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フィリピン:マニラ~ボラカイ

フィリピンに行ってきました。21日(土)に出発し、マニラ経由でボラカイ島へ。25日(水)に再びマニラに戻り一泊して本日26日(木)帰りました。フィリピンには今回初めて旅行しましたが、マニラの様子は従来持っていたイメージとは相当かけはなれたハードな街でした。ボラカイ島はフィリピン随一のリゾートと言われるだけあって、海がとにかくきれい。それだけにマニラの混沌とした状況とのギャップがこたえました。頭の整理をするのに少し時間がかかりそうです。

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夏休み!

明日(もう今日になってますが)から夏休み!これから荷造りして行ってきます!

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案内

何か列に並んでいて、混んでくると案内の人があちらこちらに誘導している場面があります。せっかく並んでいるのに移動は面倒だな等と思ったり、われ先にバタバタするのもみっともないなと思ったりするのですが、素直にしたがってゾロゾロ行くと、なるほどこれは早くなったということも結構あります。日暮里駅は現在改修工事が行われていて、通路、階段がしばしば閉鎖されたり変更になったりします。先日、京成電車を降りていつもの階段の方向に向かおうと左に歩きはじめたところ、「右手の階段が便利です」とマイクで駅の人が叫んでいるので、踵を返して右に進行。極めて整然と移動できました。素直に柔軟に状況に対応することも結構大事なことかもしれません。

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自由の女神

昨日、お台場に行ってきました。自由の女神像があって違和感を感じたのですが、実は結構由緒あるものなんですね。ウィキペディアによると、「東京お台場には、パリの自由の女神像が、日本におけるフランス年事業の一環として1998年4月29日から1999年5月9日まで設置されていた。この事業に関しては、1998年4月28日に点火式が行われ、フランスのジャック・シラク大統領、橋本龍太郎首相(当時)などが参加した。この事業が好評を博したため、その後、フランス政府からレプリカの制作が認められフランスのクーベルタン鋳造所にて複製されたブロンズ製のレプリカが2000年に設置された。 このフランス政府公認のレプリカは「台場の女神」という別名で呼ばれることも多い。」ということです。赤羽あたりのビルの上に見える自由の女神と一緒にしてはいけませんでした。すみません。それにしても、ゆりかもめの運賃はちょっと高すぎです。

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東京の下町

前述の「『狂い』のすすめ」の中で、永六輔さんが東京の下町についておっしゃったことが紹介されています。ちょっと長いですが引用すると、「永さんは東京は浅草の生れで、自分が生れ育った本当の下町の人間はあんな(注:「男はつらいよ」シリーズで描かれている東京の下町の人情味あふれる人間関係)べたべたした人間関係を持たない。あの映画が描いているのは、東京の田舎の風景だそうです。たとえば、浅草であれば、ちょっと散歩をしていて、近所の人に、『きのう寅さんが死んだよ』と教われば『あ、そう』と応じる、それだけだそうです。別段、『ご愁傷さま』とも言わないし(だって、その人は寅さんの身内ではありません)、お線香をあげに行くなんてこともしません。そんな人間関係をつくらないのが江戸っ子だそうです。」一方で、ひろさちやさん曰く、大阪の下町の人間には寅さんで描かれている人情は共感できるのだそうです。そういえば、町屋周辺の雰囲気は、そう言われてみると確かに永さんの描写に近いような気もします。

浅草といえば、半村良の「小説浅草案内」もなかなか味のある本でした。たしか今は絶版になっていますので、図書館か古本屋ということになりますが。

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宇宙の時間

どこで読んだか忘れました。内容としては、宇宙の星が生まれてから死ぬまでの話でしたが、その中で地球もその例外ではなく、何十億年(だったかどうか忘れましたが、とにかくすごく長い時間)の後には、ガスになって無くなってしまうといった趣旨でした。それまでに人間が生き延びているのか分かりませんし、他の星で生存できるようになっているのかもしれませんが、いずれにせよ今の地球は無くなってしまうんだという話、けっこうぞっとしました。

これもうろ覚えですが、ホーキンス博士の話だったかどうか・・・(間違っていたらごめんなさい)。宇宙に地球以外に生命が存在することは十分ありうるとしつつ、何故これまで遭遇していないのかという答えとして、宇宙の時間の中では人類があらわれてこれまでの時間は、一瞬の瞬きにもみたないために、地球外生命との遭遇の確立も極めて小さいのだといった説明でした。

どちらも稀有壮大というか、気の遠くなるような話というか、頭がリフレッシュして、ちょっと平衡感覚をとりもどせるような気がします。

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人生の師

日野原重明さんの「人生百年私の工夫」(幻冬舎文庫)につぎのような記述があります。「『いつかはああなりたい』と憧れる、”生きた教科書=モデル”を探そう。」人生の師ということでしょうか。自分にとって人生の師とは・・・

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地震

昨日の地震で9名の方が亡くなっています。ご冥福をお祈りします。

私の地震の記憶はロスアンゼルスに住んでいた頃、1994年1月17日の午前4時半ごろ発生したノースリッジ地震です。だるま落としというおもちゃをご存知だと思いますが、ロスアンゼルスの東の郊外に住んでいた私の家では、ベッドがまるでだるま落としのように横に10センチくらいずれたような衝撃で目がさめました。新聞にはフリーウェイが崩落した写真がのり、かなりの動揺がロスアンゼルスにありました。亡くなった方は70人くらいだったでしょうか。

しかし、こんなことがあるんでしょうか、なんとそのちょうど1年後の1995年1月17日に、日本では阪神淡路大地震が発生しました。この大地震は、6,434名の方が亡くなるという、死傷者ではノースリッジ地震とは桁違いの文字通りの大災害となったのでした。

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ただ狂え!

ひろさちやさんんの「狂いのすすめ」(集英社新書)を読みました。

《 何せうぞ くすんで 一期は夢よ たヾ狂え 》 (閑吟集)

平易な文章で人生について語った本です。深いです。

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東京の空はきれいだ

天気のいい日の朝、外に出ると真っ青に澄み切った空。木々の緑が目にしみる。東京でもこれくらいきれいなのですから、日本の自然の美しさは言わずもがなです。確かに近くの隅田川や荒川の水がきれいとはいえませんが、これも10年単位で見てみると、おそらく確実に相当きれいになっていると思われます。地味な部分ですが、環境改善の努力が少しずつ実ってきているのではないでしょうか。上海で公害の真ん中に住んでいるような生活から帰国してみると、これらのことが本当にありがたく思われたものです。

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期待資産額

アメリカのトマス・スタンリーという人は「期待資産額=年齢×年収÷10」という指標を示しているそうです。これを上回っていると蓄財優等生で、下回っていると蓄財劣等性だそうです。結構ハードルが高いです。無意味な出費を減らし、資産の運用利回りをあげる。これが鉄則なのだと思いますが、なかなかうまくいきません。

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お互い様

テレビでたまたま外国人による日本語弁論大会を一部見ました。一つなるほどなと思ったのは、韓国の女性のスピーチで、「日本人の配慮の気持ちと、韓国人のお互い様という気持ち」という比較論でした。韓国では、日本人から見ると迷惑なことをやっても、お互い様という気持ちがあるから、さほど気にならないという説明でした。日本に留学したてのころは、日本人は気を遣いすぎと感じたけれど、しばらくすると、韓国に帰郷したとき、マナーの悪さが気になってしようがなかったという話でした。どちらがよくてどちらが悪いという話ではなく、こういった違いがあるということがよく分かったということでしたが、このような分かりやすい言い方で、文化の違いを少しずつお互い認識することも大変大事なことだなと思いました。

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ピーポくんファミリーコンサート

15日は警視庁音楽隊のコンサートに行ってきました。ピーポくんというのは、警視庁のマスコットキャラクターで、音楽隊コンサートだけでなく、警視庁のいろいろなイベントに登場しています。今回は、第二部のはじめのところで、携帯電話についての注意を着ぐるみのピーポくんが熱演していました。面白かったのが、ピーポくんの歌というのがあって、司会のおねえさん(この人も音楽隊の人と思われます。すごく声のいい人。)が、自ら歌っていたこと。これが大変上手だったので感心しました。

このコンサートは年に2回くらいコンサートしているんでしょうか。以前1回行ったことがあります。普段オーケストラを見慣れているので、クラリネットが第一バイオリンの位置にある等、楽器の配置が面白いなと思いました。王子の「北とぴあ」で開催されたのですが、これも立派なホールでした。観客は、子供からお年寄りまで幅広く、曲もバリエーションがあって楽しめるコンサートでした。隊員のご家族と思われる子供さん二人が休憩のとき、お父さんに一生懸命手を振っていたのがほほえましかったです。警察官募集のチラシも配られていましたが、警察の仕事も大変なのだろうなと思いながら聞いていました。

帰りは久しぶりに荒川線で荒川二丁目までのんびりとゆられてきました。台風による雨風もおさまってきました。

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台風の影響で今日(7/15)は一日雨のようです。幼稚園の頃、外で遊んでいたら雨が降ってきて、急いで家に帰る途中、友達の家の前を通りかかった時に、友達が窓から顔を出し、「雨にぬれると核の灰で頭がはげるぞ」と言うので、あわてて走ったのを覚えています。どの国だったか忘れましたが、当時、外国の核実験が話題になっていた頃でした。

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引越し

①広島県呉市~②青森県大湊市~③京都府舞鶴~④神奈川県横須賀市東逸見町その1~⑤その2~⑥久里浜~⑦川崎市上小田中その1~⑧その2~⑨横浜市篠原町~⑩久里浜~⑪東逸見町その3~⑫東京都新宿区東大久保~⑬神奈川県横浜市藤が丘~⑭東京都中野区南台~⑮ロスアンゼルス市サンゲーブル~⑯東京都北区田端~⑰荒川区荒川その1~⑱中国上海市虹橋~⑲荒川区荒川その2

かなり忘れてます。要精緻化。

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台風

台風四号が高知県足摺岬沖から北上しています。子供の頃、台風が近づいてくると、父親が雨戸をすべて閉めて、板で補強までしていたのを思い出します。その記憶は川崎に住んでいた頃のものですが、その頃住んでいた家は、戦後間もなく建てられた木造家屋で、その後2年ほどで建て替えられてしまったほどの古いものでした。それでも父母の心配をよそに、子供心にはなんとなく大変な事が起こりそうなワクワク感を覚えたものです。中学の頃は、神奈川の大船駅の横を流れる柏川が増水して、橋が渡れなくなる可能性が出て、学校が何回か早く終わったことを思えています。その後の河川整備で、後輩たちはこのような僥倖にはめぐりあわなかったようです。以前は都会に住んでいても、自然の力を比較的近くに感じていたような気がします。

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笑顔

小さな子供と目が合うと、自然に微笑みがうかんできます。子供達と接する時間が長ければ長いほど、その人の表情が柔らかなものになるような気がします。子供に限らず、愛する人を見つめる時間も同じかもしれません。笑顔が素敵な人になりたいものです。

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中国と日本

【北京12日時事】中国中央テレビ(電子版)は12日までに、北京市朝陽区の一部露店で、段ボールとひき肉を混ぜて具にした「偽装肉まん」が違法に販売されていたと報じた。販売業者は同テレビの取材に対し「段ボールと肉の割合は6対4で、コストを下げるために行っている。自分では食べない」と証言した。
 日本ではひき肉偽装事件が発覚したが、北京市当局は段ボールを使った偽装肉まんは極めて悪質なケースだとして、違法加工拠点に対する取り締まりを進めている。
 問題の肉まんは、使用済みの段ボールを劇物のカセイソーダに浸して黒っぽくした上で、粉々にしてひき肉と混ぜ、肉まんの具として約10分間煮込んで作られる。段ボールとひき肉が混ざった具は、外見上は本物と見分けが付かないという。

再生紙である段ボール、それも中国の段ボールを劇薬でとかしたものをひき肉に混ぜているといいます。ここでは焦点があたっていませんが、おそらく、このひき肉も何の肉か分かりません。中国では、マントウを0.7元(約10円)くらいであちこちで売っていて、朝食に買って食べる人等も多かったですが、こんなこともあったんだと改めて驚きました。

日本のミートホープのひき肉偽装事件と、中国の段ボール肉まんの事件。中国と日本の違いを知るうえで、感覚的に分かりやすい事例がほぼ同時に起きたなと思いました。

もう一つ別の観点で言うと、中国のこのような事件が外国にも流れるということは、中国も変わったなという感覚も一方であります。

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表と裏

文芸春秋8月号で永六輔さんが「TVが王様『恥ずかしい国』日本」という文章を書いています。曰く「日本が恥の意識を忘れ露出狂的な国になり、本来隠すべきものが露骨に表に出すぎている。・・・すべてが表の世界です。すると、人生から楽屋の部分がなくなり、つねに舞台に出ているような感じになって息が詰まってしまうのです。だから、現代人は生きることにくたびれている。誰もが楽屋を持ち「裏」を大切にするべきなのです。そこで表の世界とバランスをとって付き合っていくのに必要なのが、恥の意識です。・・・でも、中には落差のない人間というのもいて、しかもいまの日本では、それを良しとするようなところがある。」永六輔さんという人は、私にとってはどうもとらえどころのない感じがするのですが、この感覚はよく分かるような気がします。最近私も忘れていましたが、こんな件もあります。「たとえば、昔の日本人は、人前でモノを食べることを恥ずかしいとしていました。」私も仕事場で夜になるとパン等をモグモグ食べていますが、確かにモノを食べるところは、人にあまり見られたくはないものです。

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お彼岸

電車の車内広告で、最近次のようなものがありました。仏具店の広告ですが、お彼岸について書いてあります。曰く「お彼岸に、胡瓜の馬と茄子の牛を作るのは、祖先の霊が胡瓜の馬に乗って少しでも早くこの世の家に戻ってくるよう、茄子の牛に乗って少しでも遅くあの世に戻るように祈るため」ということです。そのような背景は初めて聞きましたが、昔の人が祖先を思う素朴な感情がしのばれるいい話だなと思いました。

ブログを立ち上げて100回目となりました。塵もつもれば山となる。そんな感じです。

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山本紹之介「言葉の散歩道」

雨あり

晴あり

曇あり

すべて順調

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信頼関係

お互いを尊重する、思いやる気持ちがなければ信頼関係も無く、何事もうまくいきません。人と人は物理的には精神的にもある程度の間が必要だと思います。最後は自分一人になるのですが、周りは人の気配は感じていたいと思うのが人情のような気がします。その精神構造が宗教的なものにつながってくるのだと思います。

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椅子とりゲーム

私が子供の頃、大人達は電車に乗ると、競って席に座ろうとして、すさまじいシートの争奪戦を演じていたような気がします。まさに椅子とりゲーム状態になっていました。当時に比べると、最近の人はさほど露骨な態度は見せないような気がします。山の手線などでは、すぐ降りるからでしょうか、席が空いていても立ったままの人もいたりします。これをどう考えたらいいんだろうと、時々思い出しては頭の中で昔の思い出を反芻しています。

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面子

中国人は面子を重んじると言います。しかし、これは日本でも同じことだと思います。「中国は面子の国だから」と言う前に、日本人の面子にもお互いもっと配慮してもいいのではないかと思います。

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ことば

私の場合、英語も中国語も大人になってから覚えたことばなので、海外で生活していると、現地の人間と話していても、かなりの「分からない部分」が残ります。それでもなんとかコミュニケーションして生活していかなければいけません。それを長年やっていると、相手の話で分からない部分があることを前提に、それを補う努力をすることになります。別のことばで言うと態度で示す必要がある訳です。たとえば笑顔を見せるとか、張り切っている様子を見せるとか・・・。これが日本ではほぼ100%に近く言葉が分かってしまうので、コミュニケーションの努力をあまり意識しなくても生活できてしまいます。これはかなり心地いいものなのですが、逆に、相手をおもいやったり、意識的に態度をコントロールしたりすることに気を使わなくても生活できてしまうということになりますので、気をつけないと無神経な立ち居振る舞いになる可能性もありますし、言外のニュアンスも含めて分かってほしい等と過大な期待をもってしまい、それが果たせず逆に傷ついてしまったりもします。その辺は気をつけて生活しなければいけないなと思います。

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政治の世界

ニュースは赤城農相の話題でこの数日もちきりです。安部政権は、年金問題といい、連続する大臣の不始末といい、逆風が吹き荒れていますが、何か政治の世界の意図的なものを感じます。私自身も別に天下国家を毎日考えている訳ではありませんが、政治家はそれが仕事、使命なのですから、日本のことをもっと考えてほしいような気がします。プラザ合意で吹き飛んだドル債権の価値や、バブル期に投資して雲散霧消した海外投資資産の価値も、これらがもし日本国内のインフラ整備に適切に使われていたらよかったのになあと、悔やまれます。人間の生活というのは本当に壮大な無駄の上になりたっているんだなと思います。日本については、それでもなおこれだけの生活水準を保っているというのは驚異的です。このありがたさを、もっと皆が認識してもいいように思います。

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余裕が無い

ジムでランニングマシンで走り始めようとしたら「すみません」という声。気配で、どうもそのおじさん(と言っても多分私より5歳以上年下)が使用中のマシンだということを言いたいらしい。あーすみませんと言って隣のマシンに移りましたが、結構マシンは空いているのになと怪訝に思っていたら「タオルを置いてあるでしょう」と「ダメ押し」の一言。余裕のない人だなあと思いました。ロッカーで着替えをしていると、別の男性がかなり年配の人と、水泳大会の話をしています。かなりの常連風です。すると突然、「あれ!無い!」と言って、なにやらバッグが無くなったと騒ぎ出しました。大したものは入ってないんだけど、あんなものを盗むやつがいるんだと言いながらも血相をかえてあちこち探し出しました。私の隣だったので、「どんなバッグでしたか」と声をかけたところ、まるで聞こえていない素振り。こちらは声のかけ損。バタフライで大会に出るんだ等と威勢のいいことを言っていた割りには余裕のない人でした。下町の狭量な面と、現代の意味をはき違えた個人主義がまぜこぜになるとこんな感じかなという気もちょっとしました。まあ、そんな大それた話じゃありませんが。

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カエル

家の小さな庭にどこからかカエルが出てきます。この家を買ってから半年くらいたった頃、初めて一匹出てきたのでビックリ。こぶし大の茶色いやつ。近くの自然公園に連れていって逃がしましたが、その後2ヶ月程たった頃、また一匹。その後上海に転勤になってから4年半、昨年10月末に帰国してから、カエルのことなど頭になかったのですが、またまたカエルcame back to my home!あまり気持ちのいいものではありませんが、家を守ってくれるともいいますので、あまり無碍にもできないのかな等と思ったりしています。不思議なのは、こんな都会の真ん中でどこから来るのか。それも、昼間は殆どみかけず、どこかに身を隠しているようなのです。不思議なカエルです。茶色も嫌だなと思いますが、考えてみると、この大きさで緑もちょっとねという感じもします。アマガエルくらいにしてほしいなあ。

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アメリカの自動車旅行

ロスアンゼルスに住んでいた時に、毎年夏には2週間の休暇があったため、年に一回は10日以上の自動車旅行をしていました。

当時はフォードのトーラスに乗っていましたが、これは斬新なスタイルで人気のあった車です。アメリカは自動車の国なので、自動車で旅行するのに便利ないろいろな工夫があります。

宿泊はモーテルといわれる施設を利用しましたが、一部屋で一泊40ドルくらいから高くても60ドルくらいで、部屋の近くに自動車を停められる所が多く、大変便利です。また、町ごとに大きなスーパーマーケットがありますので、そこで氷、パン、肉、ソーセージ、野菜、ビール、ワイン等々を買い込んでおけば、コストも安く、食べ物も、普段とあまり変わらないスタイルで旅を続けることができます。めんどうであれば、ファーストフードの店がどこにでもあります。ハンバーガーショップでは、西海岸にチェーン店を持つインアウトバーガーという店を好んでいました。

アイスボックスを2つ持って、トランクに大型、車内には小型と分けておけば完璧です。アイスボックスは、大変重宝なもので、飛行機を使って、現地でレンタカーを利用する場合も、小型のものを持参していました。

レンタカーの旅も含めると、東海岸(ニューヨーク、ボストン、ワシントン)、西海岸の数多くの国立公園、アラスカ、カナダ、シカゴ等々、広範に走り回りました。西海岸の海岸線は、北から南まで走破しました。

行っていない地域は、フロリダ半島や、ニューオーリンズといったアメリカ南部で、これらを除けば、大体の土地勘はできたような気がします。(ハワイも行っていませんでしたが、一昨年ようやく旅行することができましたが、評判どおりのすばらしいリゾートでした。)

アメリカでの記憶は、仕事の上でも結構ハードでしたが、それにもまして、家族と過ごしたこれらの旅行が一番大切な思い出になっています。

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朝顔

今年は一番下の小学校四年の娘が朝顔を庭で育てています。先日、初めて花が咲きました。朝それをみつけた娘が写真をとりたいというので、デジカメを持たせました。私も朝食を食べたあと、そのカメラで数枚写真にとっておいたのですが、後からこれらの写真を見てみると、娘がとった写真が一番上手にとれているのに気づきました。手塩にかけた朝顔がようやく最初の花を咲かせたという喜びと、それを写真にとっておきたいという気持ちが一枚の写真に現れていたんだろうなと思いました。「この集中力と感受性が今の自分の生活には欠けているな」と反省した朝でした。

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スポーツクラブ

5年ぶりに近くのスポーツクラブに行ってきました。このところ体重が増え、肩こりや首の痛みもあったのですが、やはり運動が一番だと思います。

スポーツクラブと言えば、思い出があります。ロスアンゼルスで仕事をしていた時に、ある米系のスポーツクラブへのファイナンスの案件がありました。いわゆるプロジェクトファイナンスというもので、前任者から実行直前のタイミングで引き継いだものでした。キャッシュフローのケースが幾通りもシュミレーションされていたのですが、前提条件が結構現実離れしているなあと感じたものでした。ただ、話はもう決まっていたので、「アメリカのファイナンスってのはこういうものなのか」と思っていたのですが、何のことはなく、1年後には経営不振に陥ってしまいました。おかしいと思ったものは、アメリカであろうがどこであろうが、しっかり考えた方がいいということがよく分かりました。

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御茶ノ水

久しぶりに御茶ノ水に行きました。大学浪人の1年をここの予備校に通っていたので、私にとっては今も大変懐かしい場所です。予備校に大学、本屋さんや楽器屋さんが集まっており、道行く人も若者が多く、年配に人もどこか落ち着いた雰囲気があります。銀座と並んで好きな街の一つです。

買い物をすませ、中央線で新宿に出たのですが、御茶ノ水のホームで、ふと横にならんでいる二十歳前後の女性が、この暑いのにブーツをはいているのに気づきました。ファッションなのかもしれませんが、結構違和感のある感じ。隣では、大学生風のお兄さんがPS2でゲームに夢中です。

「なんだかなー」と思いつつ電車に乗ると、二人とも並んで優先席に座っています。次の四谷で、体が不自由そうなおばあさんが、50歳代の息子と思われるおじさんに付き添われて乗ってきました。優先席の隣のドアの近くに立っていた私は、向かいの優先席に空きが一つあるのを横目で確認しながら、そちらへのスペースを空けて横に一歩ずれました。おばあさんは、ホームから電車に乗るのも「よっこらしょ」という感じで、ようやく乗り込んできたのですが、その気配に、件の二人がサッと同時に中腰になりました。付き添いのおじさんが、「空いてますから大丈夫です」といって、おばあさんを向かいの優先席にまたよっこらしょと座らせました。

ただそれだけのことですが、私は二人の若者の意外な反応に好感を持ちました。「いいぞ日本の若者!」と心の中でつぶやき、窓の外の風景をながめながら、「やっぱり御茶ノ水はいいぞ」と30年も前にここで必死に勉強していた日々に思いを馳せていました。

当時は中央線がホームに入ってくるのを見つめながら、これに飛び込んだらどうなってしまうんだろうなどと毎日思っていました。やはり何と言っても痛いのはイヤだなという気持ちがあった所を見ると、まだまだ余裕があったんでしょうか。

もう30年も前のこと。青春真っ只中でした。

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年金問題

年金問題を政府として始めて認識したのは1964年という発表がありました。以前から認識されていたという話は聞いていましたが、これほど長期間に渡っていた問題とは思っていませんでした。この話、ある意味日本の社会を根底から揺るがす事件かもしれません。日本の社会がこれほどいいかげんなものなんだという「相互不信」という感覚が国民に蔓延していかなければいいがと思います。

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選択

日本人は選択が嫌いです。選択すると自分に責任がかかるから、つい及び腰になります。しかし、どちらを選択しても大差ないという場面も沢山あります。会社の仕事でも、大勢の人が集まって会議をやっても、何も決まっていかないということが往々にしてあります。そんなときは、誰かが「こう決めましょう」と言って、さっさと話を前に進めた方がいい時も結構あるものです。ある時、私の上司がある意味会社の存亡にもかかわるような議論をの中で、私から見ると結構リスクの高い選択をグイグイと話を決める方向に仕切っていたことがあります。後で「あの自信はどこからくるのですか」と聞いたところ、「組織全体で、それぞれの部署の専門家がこれだけ集まって議論しているのだから、うまくいかない訳がない。話を早く決めた方がいいんだ。」との答え。それでもまだ私にも確信のもてない決断だったのですが、結果としてはいろいろなラッキーな要因もあり、成功裏に仕事を成就したのでした。裏づけの無い虚勢はいけませんが、考え抜いた後の決断は迷わない方がいいのかもしれません。

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応援

少し前にバレーボールの国際大会が日本で開催された時、新聞では民間のテレビ局とタイアップした日本一辺倒のコマーシャルベースの応援に、相手国の選手の気持ちを慮って、ネガティブな論調が殆どでした。その中でも、元全日本男子のキャプテンだった加藤陽一氏の「経験乏しい日本チーム、観衆、最大限生かせ」という記事がのっていました。論調はホームの応援は、相手チームの戦意喪失には効果があるので、着席したままDJに導かれて声を合わせ、空気入りポールを振る日本式の応援は効果が薄いので、どうせやるなら立ち上がって体全体で気持ちを表現してみてはどうかという内容。なるほど、いろいろな考え方があるものだと感心しました。

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文芸春秋

中国のビジネスは全てがライセンスが必要で、情報統制の観点で、日本の本屋さんが自由に店を出せる環境に無いのが実情です。そのような状況下、上海に駐在している時、日本語の本が手に入りにくいので、活字の多さという理由で文芸春秋を毎月日本から送ってもらっていました。普段、あまり考えてみなかった観点の記事も多く、毎回1週間くらいは日本語の活字を楽しむことができました。日本にいたら、なかなか手にとってみる機会のなかった雑誌ですが、海外に出てそのよさが分かったという次第です。

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壮大な実験?

毎日パソコンのディスプレイを何時間くらい見つめているんでしょうか。8時10分に会社に着いて、夜の9時まで仕事するとして、昼の40分くらいの休みと、会議が3時間程度とすれば9時間はパソコンを使っています。これに家での使用を入れると、10時間は画面を見ている計算になります。人類が誕生してから、このような形で目を酷使している状況というのは無かったことですから、これによって人々の目がどうなってしまうのか・・・。ある意味何十年をかけた実験と言えるかもしれません。これに限らず、現代の人間が直面している環境を考えると、これからどうなっていくのかよく分からないことも多いような気がします。環境の変化に伴って人の体も変わっていくのかもしれませんが、急速な変化がもたらすものが何なのか、かたずをのんで見守るというと大げさでしょうか。

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大画面テレビ

週末に有楽町のビックカメラに行きました。テレビ売り場では、大画面のテレビが無数に映像を流しています。ふと見ると、映画MATRIXを流しているテレビの前で、2才くらいの男の子が無心に画像に見入っています。画面は終盤のビルにキアヌリーブスが突入する場面で、ロビーでの戦闘シーンでした。暴力シーンとしては大人が見ればおとなしいものですが、それでも敵を背後からピストルで撃ちぬくといった場面があり、こんなシーンが赤ん坊のような子供にインプットされて、この子の頭の中でどういう影響を今後与えていくのだろうと考えるとちょっとこわい気がしました。

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エクセル

昨日、町屋駅前のTSUTAYAで日経PCを久々に買いました。付録に「エクセル操作大辞典」なる小冊子がついていたのですが、パラパラとめくると、結構味のある技が掲載されてました。「練れてきたなー!」という感じがしました。「USBメモリーで便利ソフト大活用」という特集でしたが、結構面白かったです。

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テーマパーク

東京は見方によってはテーマパークのような、仕掛けがいっぱいつまった都市です。アジアの国々から戻ると本当にそう思います。ただ目を転じると、ロンドンやパリ、ニューヨークやロスアンゼルス。あるいはハワイやサンフランシスコ。やはりそれぞれに魅力があります。思うに、資本の蓄積というものは、やはり広い範囲というよりは、都市単位くらいのスケールで実現していくものかなという気がします。国土の全てを均一にすることは難しく、またその必要もないのかもしれません。基本的なインフラは必要としても。

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記憶

身の危険を感じた記憶がいくつかあります。一番古いのが、おそらく3才くらいの頃、広島の海で家族と海水浴に行って、ちょっと手を離されて水中でもがいた記憶。他の記憶が薄れている中で、この「溺れる」という感覚は時々頭に浮かびます。二番目は小学校2年の頃、自宅の路地から飛び出してトラックが急停車したこと。同じく3年生のころ自転車の二人のりでがけから落ちそうになったこと。最近ではアラスカで雨の中自動車を飛ばしていた際に、スリップして路肩から落ちそうになった時。これらの記憶が時々フッと頭をよぎることがあります。こういうのをいわゆるトラウマっていうんでしょうか。

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地球温暖化

文芸春秋7月号からの引用です。「・・北極は、陸地がなく全て氷の塊である。『水に浮いている氷』が融けても水面の高さが変わらないことは、コップの水に氷りを浮かべて観察すれば分かる。中学一年で習った『アルキメデスの原理(浮力の原理)』を思い出してみよう。氷が浮くのは、水よりも同じ体積の氷の方が軽いからだ。氷が融けると体積が小さくなり、ちょうど海水面の上に顔を出している部分がなくなる計算になる。・・・南極の場合は、大陸が氷が覆っているため様々な要因があるのだが、まず言えることは、温暖化によって海水の温度が上がれば、より多くの水蒸気が発生し、それは雪となって南極に降り積もる。単純化して言えば、温暖化によって南極の氷は増えるのである。・・・」(武田邦彦氏「『不都合な真実』主犯は米国だ」より)

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路上駐車禁止

昔から自転車に乗るのが好きでした。会社に入って最初のボーナスで、神田のアルプス自転車のクイックエースを購入し、独身寮の部屋の中に置いていたのが思い出の一つです。ただ、自転車で走っていて困るのは、路上駐車の車です。道の両側にズラッと並ぶと、道幅が半分になってしまうこともしばしばで、更に怖いのは高速で走っていて、急にドアが開くことです。昨年上海から日本に帰国して、思ったのは、路上駐車の取り締まりが厳しくなって、以前より格段に車が減ったことでした。東京ですと、歩道も人が多くて走りにくい場所が結構多く、車道に出ざるをえないのですが、かなりストレスが減りました。新聞によると、これによる経済効果がかなりの金額と算定されているとのことで、それもうなずけます。やればできるんじゃないかと思ったのは私だけではないのではないでしょうか。

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崇洋媚外

日本の国全体が第二次世界大戦に敗戦して以来、崇洋媚外になってしまったように思います。それが国際化と勘違いするのがインテリと言われている人には多いです。しかし、一転アジアに目を向ければ、ものすごいうねりのパワーの中で、日本がいかにアジアの中でしっかりとした軸足を持った立ち居振る舞いをしなければいけないかということがよく分かります。そもそも欧米人を、よく観察してみれば、結構疲れている人も多いし、無礼な人間、汚らしい人間も相当多いです。それに気づかず、いまだに東洋人を見下しているような化石のような欧米人もいます。2004年は自衛隊がサマワに行きました。日本も急速に変わろうとしています。私たちは、ここでしっかりと、自分の「拠って立つ所」をしっかりと持っておかなければいけないなと思うのです。

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江戸時代

我々の子供時代に学校で習ったのは、江戸時代は鎖国による200年もの停滞の時代であり、欧米諸列強に大きく差をつけられたというものでした。しかるに現在、日本の現在の国力の源は江戸時代にさかのぼれるという論調が盛んになっています。このいいかげんさはいったい何なのでしょうか。歴史を見る目、事実を見る目のいいかげんさは目を覆わんばかりです。

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積み重ね

このブログを書いていて思うのは、「塵も積もれば山となる」ということです。5月にこのブログを立ち上げて、毎日というペースは守れていませんが、それでも既に70を超える数の文章になりました。備忘録的なものに過ぎませんが、将来振り返って、あの時はこんなことを考えていたのかと思い出したり、そうそう自分はこういう経験もしていたんだ。忘れていたなあということもあろうかと思います。記憶に頼らず記録に頼ろうという標語がどこかにありましたが、それに似たようなものかもしれません。何か話をする時も、話題のリストとして使えるかもしれないな等と考えています。自分はこういう人間ですという紹介をする時もたぶん役に立つのだと思います。

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書類の整理

机の上や引き出しに、コピーやら何やらがごちゃごちゃになってしまう・・・。仕事がはかどらない時は、大体そういうことになってます。ファイリングにも時間がかかるので、悪循環に陥ると、雪だるま式に事態は悪化します。私の小さな工夫は3つあります。一つはクリアーファイルにペンディングの書類を入れ、雑用メモに赤ペンで表題を書いておく。それを「あいうえお」順のインデックスをつけたプラスチックの箱に入れておく。2つ目は、「何でもファイル」です。カテゴリーとか全く考えずに、パンチで穴をあけてひたすら綴じておくだけです。後から整理をすると、その9割以上が「捨てても大丈夫」ということになります。これだけでも、机上が整理できるので、大変助かります。3つ目は未決書類と既決書類を分別する、いわゆる「決裁箱」です。25年の仕事の中で確立したスタイルがこの3つというのも情けない感じもしますが、とにかく多種多量の仕事をこなすには簡単な工夫ながら役にたっています。

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コミュニケーション

大学2年の時にヨーロッパに旅行に行きました。大学生が30人弱集まったツアーだったのですが、英語でのコミュニケーションにはかなり苦労した覚えがあります。いちいち頭で英作文をやっているからです。クルーズの夕食で相席となった老夫婦と殆ど会話ができず、いごこちの悪い思いをしたことを今でも覚えています。家内はその旅行で知り合ったのですが、簡単な英語で自分よりも何倍も意思疎通できていました。女性特有のコミュニケーション能力もあったのでしょう。帰国後、松本亨さんの本を読んだりしましたが、とにかく英語の本を読むことが必要と思いました。今から何十年も前の話ですが、英語の能力は、その後就職して勉強しなくなってからガタ落ちでした。ロスアンゼルス赴任を前に、SONYのリピーターという機器を買い込んで相当聞きました。その時思ったのは、英語にもリエゾンがあるんだということくらいですが、渡米してからも、暫くは口語表現が全く分からず苦労しました。一方で子供達は英語の家庭教師の先生に恵まれたこともあり、バイリンガルと言っていいレベルになりました。言葉を極めるのは並大抵なことではありませんが、新しい外国語を覚えると、確実に世界が広がるということは言えると思います。日本でも子供のうちから英語を教えるのはいかがなものかという議論がありますが、そもそも一般論で論じること自体が間違っていると思います。日本人として日本語をきちんと教えるのはマストだと思いますが、一方で、大学以降に新しい外国語をかなり深いレベルまで身につけるのは、やはり至難の技ではなかろうかと思うのです。レベル感をどこに置くかが難しい議論だと思います。

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麦藁帽子

昨日は子供が英語レッスンの送り迎えで新宿に出かけました。日差しがとても強く、外を歩くには帽子がいるなと思いました。久しぶりに麦藁帽子という言葉を思い出しました。ただ、新宿を麦藁帽子をかぶって歩くのもなあと考えつつ、帰宅して通信販売のパンフレットを何気なく見ていたら、「パナマ帽」がのってました。説明文によると、アメリカのルーズベルト大統領がパナマ運河を視察に行ったときにかぶっていたのでパナマ帽と呼ばれるようになったとか。ルーズベルトにちなんだ名前ではちょっとなあとも思いますがなかなか気になるアイテムではあります。でも結構目立つでしょうねこれは。実用的という面ではやはり野球帽かなあ。

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デジカメ

最近のデジカメは、メモリーの容量が大きく、バッテリーも長時間もつので、思う存分写真がとれます。必要に応じてプリントも簡単にできます。出張や、何かの集まりがあった時等に、ちょこちょこっと写真を撮って、翌日記念写真として相手に渡すと結構喜ばれます。かばんに必ず入れておくと、ちょっとしたことでも記録にとっておけるので重宝します。駅の時刻表や、会議のホワイトボードに書いた内容(プリントできるホワイトボードもありますが)を写真に撮っておくこともあります。プリントしなければランニングコストは殆どかからないし、将来的には携帯電話のカメラも、単体のデジカメと遜色無いものになるかもしれませんが、いずれにせよカメラの概念を変えた技術だと思います。

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