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森の声を聞く

 仏教、キリスト教、イスラム教・・・
 日本人は無宗教だとよく言われ、何かの宗教を信じていないことが悪いことのように一般的に考えられています。最近思うのは、死生観というのは、全く個人、一人ひとりに属するものであり、他人がとやかく言う、言えるものでは無いないのではないかということです。自分自身が自然(他人とのかかわりという社会的な営みも含め)と向き合って、あるいは自然の中で生きていく作業なのではないか。
 日本人は、古来、森林の中から、そこにひびきわたる何かを感じとってきた、自然の中で自分の生き方というものを考えてきた、自然の一部として何とか生きてきたのではないかと思いますが、そういった営みの流れを、宗教という形の体系化された社会的な枠組みのものさしで測ろうとし、どこかの宗教、宗派にはめこもうとすること自体、程度の差はあれ、なにやら原理主義に通じるにおいがします。
 宗教界では、宗教家の中で、真摯で頭のいい人達が教義を言葉にして残し、それらの解釈についても後の人達がいろいろと議論、考察して複雑な体系を作り上げてきたのだと思います。確かに、そういった優秀な人達の膨大な作業の積み重ねは、一般人の頭では何年かけてもまとめきれないような事柄をクリアーに見せてくれることは確かで、いろいろな手がかりを与えてくれるものだと思います。
 一方で、人は一人で生まれてきて一人で死んでいくという自然の営みの中に生きており、その死生観を、ある一つの宗教という枠組みにはめこむ必要も無いのかもしれません。自分は自分、もっと自然の中で何かを感じ取っていくことが大事なのではないか。考えてみれば、自分の心の問題まで、人が考えた枠組みにはめこむ必要はないんじゃないか。(宗教の中では、それは「人が考えた」ものではないとされているのでしょうが。)
 もちろん、宗教を軽んじるつもりは全くありませんが、逆にそう考えると、がんじがらめの思考回路がパチンとはぜて、自由な発想がわいてきそうな気持ちがするのです。
 これは日本人のメンタリティーと、欧米やアジアの他の国等のメンタリティー、物の考え方、死生観の違いを考える上でも一つヒントになるかもしれません。

 

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