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神風だったのか?

 武田邦彦さんのブログは原発事故前からRSSに登録して見ていたのですが、福島第一原発の事故後は、その情報を日々の状況をどう考えればいいのかの指針の一つにしていました。福島の事故も長期戦になりますが、今後の事を考えると、どの地域、あるいはどの食物がどのくらいの放射能汚染の状況かをきめ細かく調査して客観的なデータが公にされるべきだと思います。それ無しに周辺の野菜を買って支援しようとか、福島の学校給食に福島産の野菜を使って安全性をアピールしようとか、東北地方に就学旅行に行こうとかいった論調はリスクがあるのではないかと感じています。どこまでのリスクを自分がとっているのかが全く分からないからです。
 放射能の影響は何十年先にならなければ表面化しないかもしれませんし、その時にその事象が原発事故によるものかどうも証明は困難でしょう。だからといって、今できることをやらないで多くの人、特に子供達をリスクにさらすのは間違っていると思います。
 ということで武田さんの本の方も少し読んでみようかなかと思い、今日は「偽善エネルギー」を読んでみました。多くの興味深いポイントが含まれていましたが、その一つをメモしておきます。
「まず原発というのは、非常に巨大な設備なのに、そこの責任者はサラリーマンで、生まれてこのかた、あまり大きな判断を自分でしたことがありません。確かに、責任者は一流大学を出て大きな電力会社に入り、それなりの訓練を受けてきています。頭もいいし経験も豊富ですが、彼の人生で『勇気』や『人としての誠実さ』、そして『決断力』の試験を受けたわけではありません。物理や数学、そして英語などの成績がよかったり、人づきあいがうまかっただけです。普通の仕事ならそれで十分ですが、原発のように、知識もいれば胆力も必要となると話は別です。だから、どうしても原発の責任者は国民を守るというより先に、我が身や自分の会社のことが気になって、重要なことほど隠してしまう傾向があるのです。この解決策としては、原発を安全に動かし、廃棄物を適正に処理するためには、日本の教育制度を改革して、『高い地位に就く人は、精神訓練をする』というようにしなければ、基本的には原子力を実用化することができません。技術が完成していても、それだけでは安全は保てないのです。」
 この本は、2009年11月に出たものですが、エネルギー問題全般に渡ってさまざまな論点を提供しています。

 過去30年程の間にグローバルスタンダートという名のもとに拡大してきた日本の大企業は、大なり小なり同じような構造になっているのかもしれないという気がします。現場に近いサークルを率いている人の方が上記のようなリーダーシップの気質を持っている層が厚いという印象があります。崖っぷちにたたされた時に何を考えるのか。その瞬間に、その人がそこまで生きて培ってきたものすべてが集約されるのかもしれません。

 同じく先日読んだ「原発事故 残留汚染の危険性」の最後の一文も印象に残っています。福島を中心とした放射能の影響が心配な地域(東京の我々を含め)に住む人には酷な話ですが・・・
「今回の福島原発の事故は多くを『偏西風』という日本の風に救われたのですから、まさに神風だったのです。この幸運をよくよく考えたいと思います。」

神風だったのか(何故日本の国内でこういったシュミレーションが広く公表され議論されないのかが不思議)

将来大きく変貌した日本で我々の子供達がこの事件を振り返って、「あの時の偏西風は本当に神風だったんだね」と言えることを願います。

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