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サマリー

荒っぽいですが、日本における原子力利用の経緯を国際関係を軸に見ると概略はおおよそこんな感じでしょうか。

第二次大戦後⇒冷戦⇒米ソ核兵器開発競争⇒ロシアが水爆でアメリカに先んじる(1953年)⇒アイゼンハワーが核の平和利用を提案(核軍縮提案=核兵器用に開発された燃料を原発に転用)することで牽制(Atoms for Peace演説 )、一方でNATOの核装備を進める。ソ連は反発。⇒この間、アメリカは水爆の開発を進め、ビキニ環礁で秘密裏に水爆実験を実施したが、第五福竜丸事件(1954年)で秘密実験が世界に知れ渡る。⇒日本のアメリカの核実験への反発強まる。⇒日本の共産化を懸念する日米の勢力が原子力の平和利用推進を画策(原爆反対をつぶすために原子力の平和利用を進める=毒をもって毒を制す、日本に対する心理戦略)。⇒アメリカは、日本の世論に強い影響力を持つ正力松太郎(読売新聞社主、日本テレビ)に接触(第五福竜丸事件の前から働きかけが始まっていた)。⇒日本にエネルギー源が無いことを軸に原子力の平和利用推進を勧奨した。エネルギー枯渇による貧乏、共産化を回避するというシナリオに正力が乗った。(正力としても原子力発電を手に入れれば財界と政界に大きな影響力を持つことが出来ると考えた。)⇒ソ連が原発の稼働に先行。対抗してアメリカは西側諸国と個別に協定締結し、技術、濃縮ウランを援助するスキームで巻き返しを図ることとし、日本とも協定を結ぼうと試みた。⇒第五福竜丸事件は200万ドルの補償金を支払いアメリカの責任は問わないという政治決着。⇒ソ連も中国、東欧諸国と同様な形で核のブロックを作ろうとした。⇒アメリカの濃縮ウラン提供提案を政府は当初公にしなかったが、朝日新聞がスクープで知れ渡り、以後国内で激しい議論となる。⇒正力松太郎、衆議院に立候補し当選(1955年)。⇒経団連はじめ勢力を固め(当時の日本は慢性的な電力不足回避のために、産業界は新しいエネルギー源を探していた)、アメリカの原子力平和利用使節団を受け入れた(1955年)。⇒新聞、テレビを最大限使ったキャンペーンが奏功。⇒日米原子力研究協定締結(1955年)~濃縮ウラン提供⇒1957年、東海村の原子炉が臨海に達す。⇒冷戦の中、原子力平和利用推進という形で、米ソ二大陣営がそれぞれの核のブロックを形成されていった。

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