« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »

2011年6月

宴会続き

 7月より新しい部署に異動になることになり、歓送迎会とプライベートな会で、昨日から来週月曜まで宴会続きになりました。今週は太極拳の稽古もない週なので、不摂生がかなり影響しそうで心配です。外食で放射能物質を摂取する可能性も高いと思いますので、昼はおにぎりでも持っていこうかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

「老い」を愉しめる生き方

 そういえば、先週は三浦朱門の「『老い』を愉しめる生き方」を読みました。久しぶりに三浦朱門の本を読みましたが、相変わらず厳しい人ですね。
「それでも私たちの世代、いわゆる戦中派は、冷たいぬかるみの中で坐ることもできずに立ちつくしていた記憶があるから、坂の上に立って、ある感慨を覚えることはできる。可哀そうなのは、ぬかるみを知らず、ただ坂を登れと命じられて、意味を分からずに登った世代である。具体的に言えば団塊の世代以降の人々である。」
「自分の理想をかかげて生を楽しむことができるのは、平凡な人間にも与えられた幸せというものである。」
「人生の失敗とは、自分が何が好きか、どのようなことに生涯をささげようか、といったテーマを持たずに生きること、理想を持たないことである。」
「ここでいう『傍観者』とは、人生を批判的にみるだけで、乗ろうとしない人である。『傍観者』は理想がないから、人生に乗れない。」
「今のエリートサラリーマン、キャリアウーマンの『結婚しない病』の原因は『傍観者』であるからではないだろうか。・・・『傍観者』と『切れる』とには共通点があって、それは共に自分を精一杯に膨らませることである。簡単に言えば謙虚さがない。」
「理想は自分の手のひらに握れるものである。」
「人生を下りてからの人生はいわば自前の人生であり、その時こそ自発的な努力が可能である。」
「資質とは未来志向のものとして見えるものではなく、生涯の終わりに結果論として言えるものなのである。」

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

中国語

 「今年は新しい事をやってみよう」ということで、昨日は中国語検定を受けてみました。3月の予定が東日本大震災で中止となり、3カ月遅れの開催でした。
 といっても、上海でも仕事は英語でやりくりしていて、中国語はこれまできちんと勉強したことがなく、いいかげんな独学なので手始めに4級(平易な中国語を聞き,話すことができるレベル。学習時間120~200時間一般大学の第二外国語における第一年度履修程度。)というのを受けてみました。最初は3級を受けようと思っていたのですが、参考書を見ると、もうちょっときちんと勉強しなければという感じだったので一つ落とした次第。
 こういった資格試験を受けるのもかれこれ10数年ぶりで、老眼鏡での試験はそれなりに疲れましたが、ある意味で気分転換にもなりました。全般的にはまあこんなものかなという感じでしたが、やはり四声に関する問題が全然できていないのにはがっかりしました。これは机上でテキストを覚えようとするよりも、耳から頭に入れないと無理だなということがよく分かりました。テープや映画等の教材を選んで、地道にやっていこうと思います。
 とりあえず新しいチャレンジを一つクリアー。7月は荒川区がやっている「外国人のための日本語教室」のボランティア養成講座を受講する予定です。時間的にはきついのでやや心配なところはありますが、結構楽しみです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

がんばれ!

 兵士を前にしての演説といっても、ローマ軍の場合は、「がんばれ!」を連呼するたぐいのものではない。・・・ 
 まずあげられていくのは兵の数や兵糧のような確定要素で、士気、つまり兵士の戦闘意欲のような非確定要素は最後にくる。これこれしかじかの面では敵に対して断じて優勢だから、あとはお前たちの士気しだいだからがんばれ、というわけだ。「ローマ人は兵糧で勝つ」といわれたのも、兵糧という確定要素をおろそかにしないではじめて、精神力という非確定要素の完全な発揮を望めるとわかっていたからだった。
「ローマ人の物語」文庫版#24

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

ローマの皇帝

 「それで、後天的にしろ強大な権力を与えられた皇帝はどう振舞うべきかの問題だが、小プリニウスは次のように言う。『主人としてではなく父親として、専制君主ではなく市民の一人として』と。そして人間的には『快活であると同時にまじめであり、素朴であるとともに威厳があり、気さくでありながらも堂々としていなければならない。』これではスーパーマンだと私などは思ってしまうが、最高権力者ともなれば超人的であらねばならないと、ローマ人は考えていたのであろう。」 塩野七生「ローマ人の物語」文庫版#24

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

愛用品

 武田邦彦氏の「環境問題はなぜウソがまかり通るのか2」に、大量消費の時代から逃れる方法と題し、「大量消費や地球温暖化から逃れる方法は何だろうか。それは第一に、自分の関心が物から心へと変わること、そして第二には身の回りのものが『愛用品』に変わることだろう」という一節があります。愛用品の五原則として以下をあげています。
①持っているものの数がもともと少ないこと。
②長く使えること。
③手を焼かせること。
④故障しても悪戦苦闘すれば自分で修理できること。
⑤磨くと光ること、また磨きがいがあること。
 これは自分の仕事を考える上でも大事な視点だなと感じました。やりがいのある仕事というのも、こういった愛用品として提供できるものやサービスを作るという観点で考えてみるのも一つの切り口かもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

 昨日、梅酒の記事を書きましたが、今朝の日経新聞を開いたら、THE NIKKEI MAGAZINE の特集が「梅が教えてくれた」という内容で、表紙も梅の実だったので驚きました。やはり季節なんですねえ。九州、霧島連山のふもとで無農薬無添加で梅の木を育てている徳重文子さんという81才のおばあちゃんの記事で、最初の畑を買って40年近くたって初めて経営が軌道にのったといいます。長年有機農業と格闘し、土を工夫してようやく収穫量が安定してきたとのこと。この辺は「奇跡のリンゴ」を彷彿とさせるものでした。なかなか良記事。梅には不思議な力があるなあと感じます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

梅酒

 先月ふと思い立って、紀州の南高梅5キロをネットで頼んでみました。翌日お店からメールで6月10日ごろを目標に収穫でき次第送りますとのこと。(株式会社井グチさん)
 楽しみにしていたのですが、予定は約1週間遅れて昨日到着しました。コロコロと宝石のようにきれいな梅が小さな段ボールで届きました。
 5キロというのがどのくらいのボリュームかよく分からなかったので、現物を見てから今朝近くのスーパーでガラス瓶を購入。水で梅を洗って、ヘタをとりきれいにふいてから漬け込みました。梅1キロに氷砂糖1キロ、ホワイトリカー1.8リットルが標準のようですが、氷砂糖はそれよりかなり少なめにしておきました。梅の量が多かったので、3者の比率がかなり標準と異なってしまいましたが、まあ多分大丈夫かな。大きなガラス瓶3つに梅酒の仕込みが終わり満足です。
 「今年は例年と変わったことをやる」と年初に思っていたのですが、これもささやかながらいつもと違ったこととしておきます。いずれにせよ、東日本大震災と原発事故で、いやおうなしにこれまでと全く違う生活になり、2011年は忘れられない年になりそうです。
 梅酒のガラス瓶にはテプラで今日の日付をいれておきました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

自己完結能力

 災害救助に出動する自衛隊と警察、消防等を比較して、決定的に違うことの一つは、自衛隊の自己完結能力なのだそうだ。陸海空の輸送手段であらゆる場所での活動が可能、行った先では野営でも簡易宿泊設備の建設でも対応でき、風呂まで作ってしまう。兵站もお手の物だ。橋が落ちれば簡易な橋をかけてしまうし、道を切り開きどこまでも進んでいく。戦闘能力があるので、治安維持にも鬼に金棒である。それでいて、今回の震災の例を見ても分かるように、マスコミの前面には決して出てこない。徹底的に縁の下の力持ちなのだ。
 ひるがえって個人レベルでも、自分で自分の身の回りのことが一通りできるということは大切なことだと思う。そのあたりをよく考えてみたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

総選挙?

 AKB48の総選挙の話です。詳しくは知らないので、どうでもいい話ですが、ちょっと面白いなと思ったことを一つ、変だなと思ったことを一つ。
 面白いなと思ったのは、ファン投票か何かで順位を決めて内輪(ファンを含め)で何か怨念うずまく騒ぎになっていますが、そこから何故か過去30年くらい日本を牽引していた大企業の組織経営の雰囲気を連想させられたこと。個人的には、これって何かすごく古い感覚だなと思いました。上位を競う皆さんの受賞後の発言も何か聞いていてこちらが赤面。(YouTubeでザッとチェックしましたが。)変な話ですが、この現象は時代の変わり目なのかなという気もします。
 変だなと思ったのは、何かの雑誌で秋元康が、「ファンが経済的にも手の届くアイドル」といった趣旨のことを言っていたこと。CDに同封されている握手券やら投票用紙を求めてオタクのファンが大金を投じているらしい、という話とこの発言をどうつじつまをあわせたらいいのかなと思っていたら、それはそのファンが勝手にやっているのだから、それはそれでいいんだといった意見もあるらしい。大島優子は「私達にとって票数は皆さんのの愛です」と叫んでましたね。
 やはりどうでもいい話になってしまいました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

選手の自覚

 新聞はさほど細かく読む方ではないが、日経のスポーツ面に豊田泰光さんが書いている「チェンジアップ」は興味深く読んでいる。数日前の「お仕着せより選手の自覚」という記事もなかなか味わいがあった。
 曰く「首脳陣の指導と、現役同士の語らいには決定的な違いがある。選手時代が過去のものになった人の言うことにはたまに『できもしないこと』が含まれるのに対し、現役組の話は自分でも実践していることがベースで『やろうと思えばできること』ばかりだ。結論的には同じようなことでも、コーチの話を『またできもしないこと言ってらあ』と思いながら聞くのと、仲間の話を『オレでもできそう』と思いながら聞くのでは取り組み方がまるで違ってくる。自分の頭で物事を考えるようにもなる。・・・プロは単純な理屈で成り立っている。働けなければ自分がこの世界から消えていくだけだ。誰のせいだといっても始まらない。そのおきてを自覚することが、貧打解消の第一歩ではないか。」
 年をとっても、自分の頭で物事を考える現役でいたいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2位じゃダメなんでしょうか

 木村秋則さんの「奇跡のリンゴ」の中で、イネの苗をいろいろな条件で育てる実験を小さなポットで行うという箇所がありました。普通に田んぼでテストしていると1年かかるのが、その方法だと数カ月で結果が分かるのだそうです。
 スーパーコンピューターの演算速度を高めることに世界がやっきになっている理由の一つに、複雑なシュミレーションの計算時間を短くするということがあると聞きました。いろいろな前提に基づく仮説について、従来何年もかかっていた計算をほんの短い時間でやってのけてしまうといいます。それによって、各分野の研究が飛躍的に進んでいるのだそうです。超高速のトライアルアンドエラーが可能となるコンピューターの世界。奥が深いです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

「通貨」を知れば世界が読める

浜矩子さんの「『通貨』を知れば世界が読める」を読んでみました。なかなか示唆に富んだ内容でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・世界が一蓮托生ということは、とりもなおさず、グローバル時代には絶対的な「強者」がいないということを意味している。
・均衡点から不自然な形で遠ざかろうとしている市場を、均衡点に引き戻すということが、為替介入の役割なのである。だが、これを似て非なるものが「通貨の価値を一定方向に意図的に誘導する」という発想だ。
・チューリッヒの子鬼。
・隠れ基軸通貨としての円。~円キャリー。
・グローバル時代は基軸通貨なき時代だと思うが、隠れ基軸通貨にはひょっとするとそれなりの役割があるかもしれない。
・プラザ合意~円高進行に対して、日本の政府は金融大緩和をもって臨んだ。その結果何が起こったか。いうまでもなく日本の「バブル経済下」である。
・「前川レポート」は結局実行に移されることなく、日本は構造変革という道を進まず。金融緩和という「対処療法」へと逃げてしまった。
・ドルの過大評価が修正される力学はもはや抗いがたい。その流れは日本に何があろうと、それとは無関係に動き続ける。
・あれこれ言っても、そう簡単に円を手放すわけにはいかない。そのような構図がグローバルな通貨金融市場においてできあがっているということだ。
・むしろこれからの注目点は、一ドル50円への展開がどのような形をとるのかということだろう。急激に来ればくるほど打撃は大きい。
・最悪中の最悪シナリオは、「グローバル時代に幕が下りる」ことである。要は鎖国だ。
・TPPは特定地域の囲い込み政策である。いわば集団的鎖国主義である。その意味で、TPPが実現すればそれだけ貿易の自由度が高まるという発想はおかしい。通商面のみならず、通貨面でもブロック化の動きが強まる展開になるかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

ソーシャルメディア

 現在ブログとTwitter、Facebook、Mixiを利用しています。ブログが一番古く、2007年5月13日から、約4年。最近Twitterとブログの記事をFacebookに連動させているので、Facebookに記事が集約される形になっているので便利な半面、ちょっと不便な面もあります。
 それぞれのツールに特徴があるので、それに応じた使い方をしたいのですが、それらがFacebookに集約されるとそれを意識してつい話題の内容等を考えてしまいます。まあ名前を出している時点で、好き勝手な事を言えない状況になっている訳ですが、つぶやきとブログを連動させると、それをトータルにアレンジする工夫が必要だなと感じています。その意味で、従来とちょっと違うビヘービアを考えなければいけない新しいフェーズになったなと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »