« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »

2011年8月

中国高速鉄道 #2

 中国の新幹線事故のニュースもすっかり見かけなくなりましたが、これに関し、この間中国に詳しい方と話をしている中で興味深い話題がありました。中国では「事故が起こったらまず復旧」という考え方なんだという話です。時間をかけて調査をして、その間業務を止めている方がいかんという感覚なので、あれはあれで中国人的にはさほど違和感のない状況だったと思うというのですが、確かに私が上海で仕事をしている間にも、そう考えるとつじつまがあうような話はいくつかありました。その後の海外からの批判を考慮して中国政府も急きょ対応を変えてきましたが、善し悪しはともかくとして、物の考え方の「ものさし」はいろいろあるということをちょっと思い出した話でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

靴が壊れる

 昨日は用事があって浜松町に出かけました。中国で6~7年前に買った革靴をはいていったのですが、途中で右のかかとが半分崩壊してしまいました。かかとにエアーカプセルが入っていて、それを固いゴムでおおったような構造ですが、二つに割れて外側が途中で完全にとれてしまいました。家を出る時は気付かなかったのですが、壊れ出したら一遍にダメになった感じです。中国製かつ随分はき古したものなので、寿命といえばそれまでですが、まず歩きにくいということと、みっともないということで難儀しました。人と会う必要があったのですが、時間が無いので新しいものを買えず、そのまま現場に向かいました。電車の中で思案し、とりあえずコンビニで接着剤を買って応急処置しようと思い、浜松町で降りた後、近くのコンビニに直行。アポの時間までは多少余裕があったので、さっそく直してみようと思ったら、接着するべきかかとの半分が既にどこかにふっとんでいってました。
 ということで、そのまま用事をすませ、止むなく帰り道の御徒町で下車して、ABCマートで靴を買ってはいて帰りました。まあ下駄の鼻緒が切れた訳でもなし、縁起が悪いということもなかろうとは思ってますが、靴のかかとって大事だんだなあと改めて思ったというつまらない話でした。女性のハイヒールなんかが壊れたら歩くこともできなくなりますね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

見た映画

 Tsutaya Discasに登録してあるので、リストアップしてあるDVDが自動的に送られてきます。去年の9月にスタートしたので、かれこれ1年近くたちますが、見た映画のタイトルをiPhoneのメモ帳に記録し、40本以上になっていました。(と言ってもすきま時間にPCやDVDプレーヤーで早送りしただけというものが相当ありますが。)
 ところが先日メモをあけてみると、かなりの記事が消えてしまっていました。ネットで調べたりしたのですが、今一原因が分りません。多分PCでデータを同期した際のトラブルかと思います。たいしたメモではないので、とりあえず放っておこうかと思うものの、何かすっきりしないので、Gmail に Tsutaya Discas から送信されてくるDVDの発送と返却のメールをたどって復元するかと思い、さっそく Gmail をTsutayaで検索してみました。メールを一つ一つあけるのはやや面倒でしたが、タイトルをコピペして思ったより早くリストを復元できました。今度は内容をEvernoteのメモに保管しておきました。
 仕事上も、連絡事項や資料をメールで関係者に送っておくと、いざという時のバックアップになるというのは一つのハックですが、同じような考え方です。ただ肝心のタイトルの方は、改めて見直してみると内容を思い出せない作品まであって苦笑でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

またまた円独歩高。

スイスフランも乱高下してますし、何故円だけが一貫して独歩高?
あい変わらず欧米のダメダメを円に全部しわ寄せしているイヤな感じと被害妄想。「円高はいいことだ」、「円高のメリットをもっと考えよう」と言っている人もいますが、そうは言ってもねえ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

Kindleを使ってみた

 先日佐々木俊尚氏の記事を書きましたが、同じ著者の「電子書籍の衝撃」も面白い本でした。個人的には現在はiPadやiPhoneの「青空文庫」も利用し、さらにスキャナーや裁断機で、いわゆる「自炊」もしているので、「電子書籍」についてはそれなりに頭の整理はできているかなと思っていました。
 ところが遅ればせながらKindelをアメリカのアマゾンでオーダーして手にとってみると、これが英語本についてはめちゃくちゃいいということがよく分かりました。まさに電子書籍の「衝撃」!!。
①8月15日 Amazon.com(米国アマゾン)でWi-Fi オンリーの機種ですがKindleをクレジットカードでオーダー。本体がUSD139.00、ShipmentがUSD13.98、日本円換算JPY12,203-(@79.7586)この辺は円高メリットですね。) 
②8月17日 DHLで到着。(8/18デリバリー予定のe-mailが来てましたが、実際は8/17に到着。オーダーから2日です!)
③筐体はプラスチックでチープな感じ。ページめくりも左右のスイッチを押す物理的なものなので、持ち方ではつい誤ってさわってしまう等の使い勝手はいまいちな部分はあるものの、「軽い」のと電子ペーパーで「目が疲れない」のは秀逸。重いiPadと比べるとKindleは圧倒的に本、文字を読むことに徹しているコンセプトが読みとれます。
④アマゾンにクレジットカードを登録してアカウントを開いたので、本のオーダーはKindle自体の通信機能経由で代金決済まで済ませることができる。(PC不用)
最初に個人的に思い出のあるG.K.チェスタトンの「正統とは何か」を探してみたのですが、これが「フリー」というおまけつき。
 書籍販売がもともとのビジネスであるアマゾンが考え抜いたビジネスモデルと感心します。おもちゃのようなデバイスですが、ハンディーな感じで、英語を読む人にとっては、実に手軽でいいです。分かった気になっていたけれど、手にとってみなければ分からなかったなあ。我が身の不明を恥じます。アップル、グーグルにアマゾン恐るべし。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

キュレーションの時代

 徳島の阿波踊りを見に行きました。気楽なバス旅行で、帰省ラッシュの渋滞もあったので、その間佐々木俊尚氏の「キュレーションの時代」を遅ればせながら読み終わりました。
 「電子書籍の衝撃」もそうでしたが、本全体の組み立てをしっかり考えているなということと、語り口に物語性を持たせて、一部ジャーナリスト的なやや大げさな表現や、無理筋な印象の部分もありますが、面白い読み物になっていると思いました。グローバル化イコール画一化でもないという論旨もなかなか面白いなと思います。以下、少し引用・・・

・「大きなビジネスにならない」と広告業界人が不満を持つのは勝手ですが、もう大きなビジネスなど存在しないのが二十一世紀の情報流通の真実なのです。もしそこに大きなビジネスを求めようとすれば、アップルのiTunesやグーグルの検索エンジン、あるいはSNSのフェイスブックやツイッターのように、情報流通のプラットフォームを目指すしかありません。
・マス消費のようなどんぶり勘定ではなく、ピンポイントでその映画を見てくれる人のビオトープを探し当て、そこに情報を送り込んでいく緻密な戦略を本当は構築しなければならなかったのです。しかしそうした発想を、音楽業界も映画配給業界もついに持てないままに2010年を迎えてしまいました。
・農村、そして戦後は企業が社員をまるごと抱え込み、そこに息苦しいほどのコミュニティを形成するという社会構造は90年代以降消滅に向かい、「どのようにして人と人が接続するのか」「どのようにして自分は他者に承認されるのか」という新たなテーマが日本社会の中心に躍り出てきます。
・こうしたモノと自分を重ね合わせることを可能にするためには、そのモノの持っている記号としての価値を社会全体で共有するような基盤が存在しなければなりません。そしてこの記号価値の共有は、マスメディアに情報が一元化されることによって成り立っていました。テレビで流されるCM、雑誌広告、新聞広告がモノの記号価値を高らかにうたいあげ、その情報を消費者は一元的に呑み込んでいたのでした。
・たとえば80年代ぐらいまでは、「洋楽を聴く方が邦楽を聴いているよりカッコいい」「クラシックの方がジャズやポップスより格上」というような共通認識が存在し、これによって本当は好きでもないのにカッコつけて洋楽やクラシックを無理やり聴いている背伸び消費的な若者がたくさん存在したのですが、いまやそうした人はいなくなりつつあります。・・・そこには「クラシックオタク」がいるだけで、「クラシックを聴いているハイソな人」というのはもはや笑のネタでしかない。
・だからマスメディアが演出した記号消費がなくなっていく世界では、モノの消費はふたつの方向へと分化していく。
 消費が本来生息していたなつかしい場所、シンプルな「機能消費」の古巣へ。そして新たな「つながり消費」の世界へ。
・記号消費の衰退、クラウドとシェアによる「所有しない」という新たな生き方、そして人と人とのつながりを最も大切だと考える若い人たちの台頭。
・「視座にチェックインする」という新たなパラダイム
・エンゲージメントをもたらすのは人格だ。
・視点を固定しなければ情報はうまく集まらないけれども、視点を固定した瞬間に情報はタコツボ化してしまう。
・コンテンツとコンテキスト。そしてコンテキストを生み出すキュレーターの視座と、その視座にチェックインする人々。そういう構造。
・キュレーターの定義とは、収集し、選別し、そこに新たな意味づけを与えて、共有すること。
・ゆらぎのない硬直化した同心円的閉鎖社会から、私たちは「ゆらぎ」をつねに生み出すダイナミックな多心円的オープン社会へと、いまや踏み込みつつあるのです。
・ところがインターネットのメディアが普及し、コストが低下していくと、「除湯方発信パワー」にはあまり意味がなくなってきます。
・文化のグローバルプラットフォームが、文化の多様性をさらに高めて新たな文化を生み出すことができるというのは、実は歴史が証明しています。・・・グローバリゼーションと画一化は、実はイコールではないのです。多様性を許容するプラットフォームが確率していけば、私たちの文化は多様性を保ったまま、多の文化と融合して新たな文化を生み出すこともできる。その世界で新たなまだ見ぬ文化は、キュレーションによってつねに再発見され続けていく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

そろそろ底が抜けるのかな

 円ドルもこのままいくと本当に60円台に行ってしまうかもしれませんね。時間的にはどのくらい猶予がありますかね。これからも若干の浮き沈みはあるでしょうが、ベクトルとしてはやはりこれまでの枠組みが壊れる方に向いているような気がします。多少の悪あがきを少し考えてみたいところですが妙案は無し。やれやれ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

個人の時代#2

7/23の「個人の時代」の記事で、スティーブ・ジョブスのインタビュー記事を紹介しましたが、その後、以前読んだ大前研一、柳井正の「この国を出よ」を何気なくパラパラめくっていたら、柳井氏が「『何を売りたいか』ではなく『顧客は何を求めているか』」と強調しているので苦笑してしまいました。「この人は多分特に服が好きという人ではないんだろうだな」という印象ですね。物づくりと経営は違うということではあると思いますが、個人的にはやはり物作りへの情熱をモチベーションの起点にしたいように思います。柳井氏なら「売れない物を作ることは意味がない」と言いそうですが、自分がほしいものを追求すると、それが皆があこがれるものになるというのがベストですね。飯が食えているというのが先ですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »