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2011年11月20日 (日)

近未来小説 (だが想定された2001年からの数年は既に過去になっている)

Twitterのあるつぶやきをきっかけに、村上龍の「希望の国のエクソダス」を読んでみました。久しぶりに日本人の小説を読みましたが、面白いシーンがいくつかありました。全体の感想を書く気力がまだ無いので、とりあえず印象に残った部分をいくつか抜粋してみます。

・日本経済はまるでゆっくりと死んでいく患者のように力を失い続けてきたが、根本的な原因の究明は行われず、面倒な問題は常に先送りされた。・・・つまり誰も本当の危機感を持てなかったのだ。
・これからも日本に残っていて欲しい人材ほど、海外でも仕事ができる。
・モンゴル人は・・・農耕は必ず過剰生産を生むこと、そして過剰生産を続けると、大地や大河でさえいつかは枯渇するということを本能的に知っていたわけです。
・つまりオンラインとオフラインをどうしても結ばなくてはいけない部分があって、それをこまめにやっていくということですけど、これが、数をこなすとけっこうな収入になりそうなんです。
・要するに輸出主導型の高度経済成長という過去の遺物に捉われて、必要な変化を見失っていたということになる。
・結局のところ、それは閉塞感だったとおれは思う。
・いずれすべてが正常に戻るときが来る、という期待感を誰もがまだ持っていたのだ。もちろんまったく根拠のない期待だった。
・大前提的な庇護を失い、個人が個人として生きるようになるという概念をまだ日本人は持つことができないでいるが、共同体と個人の関係性だけはなし崩し的にすでに変わりつつある。
・この国では・・・0.000001パーセントの確率で起こる超大規模のアクシデントやクライシスに対しては最初からリスクの算出はやらなくてもいいということになっているんです。
・多くの日本人がある事実を知ってしまった。それまではメディアが必死に隠蔽していた格差が明らかになったのだ。これからの日本人の成功者はその栄光と富を日本人全体に還元したりしないということが明らかになった。いつの頃かメディアは勝ち組と負け組という便利な言葉を使わなくなった。そういった言葉は勝者と敗者が曖昧な時代には有効だった。
・ストック循環・・・道路や橋やダムが再投資を必要とする時期のことです。
・変化に対して個別にアイデアを出せる人間の絶対数が不足していた。全体を牽引できるエリートが国民の5%を超えて存在する場合にその国は没落を免れる、というのは2005年当時に流行ったイギリスのある高名な政治学者の説だ。日本はその数を確保できなかったことになる。 等々

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