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夢物語では無いだろう

 あいも変わらずの生活をしている。朝5時に起きてシャワーをあびて食事をし、7時半に家を出る。西日暮里まで25分ほど歩き、地下鉄で霞が関へ。12時半に昼食をとり日比谷公園の松本楼の前の大銀杏まで散歩し、木を見上げながら「今日も元気かね」と心の中でつぶやいてから1時20分に仕事に戻る。あとは退社までの数時間をひたすら耐える(と言ってもちゃんと仕事してますが)。
 こういった表向きの生活は変わらないのだが、プライベートの生活は激変だ。6人家族が自宅に暮らすのは今や2人になり、家内と末っ子は遠くマレーシアで生活している。ネットが命綱のようなものだが、それが通じている限りはコミュ二ケーションにさほどの不便は無い。度々現地にも行っているので、よもやま話から今後のことまで直接いろいろ駄べる時間もある。いつも考えていた「行ったり来たり」のライフスタイルがやっとの所で少し実現できてきた気がしている。その延長線上でこれからやってみたい事、試してみたい事もいろいろある。年をとって疲れた等と言っていられないのだ。
 こういったプライベートなライフスタイルから得るもの、考える事を仕事面でもプラスに作用させたいと思うのだが、そのギャップが大きく愕然とする。その人が見たことのない景色(経験)をいくら言葉で説明しても分かるものではない。やはり実際にそこに行って肌で感じる(経験する)事をしなければ分からないのだという事を最近いろいろな場面で痛感している。 これは殆ど諦めの境地になってきた。
 ただ、ネット環境が発達したおかげで、同じような感性、考え方、ライフスタイルを模索しているあるいは既に実践している人がいる事は分かっている。それもかなりの数で。ただ、自分の周囲で直接知っているという範囲においては皆無だ。それがかなりつらい所だ。なかなか言う事が伝わらない所を見ると、周囲からは「あの人何か感覚が違うな」と思われているのだと思うが、自分は「常識はずれな事を言っている」、あるいは「おかしな事をやっている」とは思っていない。とすれば、これは「伝える力」がまだまだ足りないのだろうと考なければいけないのだろうか。それが少しでもできた時、逆に自分なりの次のステップが見えてくるのかもしれない。あるいは「発信する先が違う」のか(これがもしかすると正解かもしれない)。
 まあ、自分なりに納得のいくライフスタイルで暮らす事ができれば周囲はどうでもいいと言えばどうでもいいのだが、共鳴してくれる人がいれば楽しいだろうなという話。それは無いものねだりというのは分かっているのだが、ネットの世界の急激な広がりを見ているとそれも夢物語では無いような気もしてくるところが面白い所だ。
(いずれにせよ、その意味では価値観を共有しやすい家族の存在は一番ありがたいものだと思っている。)

 

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