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2013年6月

免許更新

 自動車の免許の書き換えに鮫洲に行ってきました。実は昨日の土曜日に行ったら休みだったので出直したのですが、昨日は、帰りに品川駅内の本屋さんでちきりんの「未来の働き方を考えよう」という本を衝動買いして、なかなか面白かったので、その日のうちに読んでしまいました。その意味で、一応外出した意味はあったかなと。
 免許更新の方は、一昔前に比べると事務の流れが随分スムーズになってますね。駅前の代書屋さんも、殆ど仕事無いんじゃないでしょうか。仮免用の練習を受け付けたりして何とかやってる感じに見えました。昔は鮫洲の駅を降りると、店の人が大勢にぎやかに呼び込みをしていたのが様変わりです。あの人たちはその後どうなっちゃったんでしょうか。
 今回の更新にあたって、ちょっと心配だったのが視力です。老眼が進んで、老眼鏡はしっかりこの間新しくしたのですが、普通の視力の方はあまり度が入っていないので大丈夫かなと思いつつ現場に行ったところ、左右2つずつ言わされたのですが、右目の2回目のCがどちらに向いているか一瞬ピントが合わなくてあせりました。0.5秒ほど間があきましたが、どうにか「上」と答えて「はい、合格!」ということになりました。いやいや危ない危ない。
 日本では車を運転していないので、免許はゴールド。30分の講習を受けて楽勝で更新終了でした。写真がまた一段と老けた感じで写っているのがやや不満ですが、止むなし。
 帰りに有楽町のBIC CAMERAに寄って、液晶テレビを物色しようと思ったのですが、Softbank のブースがすいていたので、iPhoneを5に機種変してしまいました。大きな違いは無いかなと思っていたのですが、持ってみると一段と軽くなってます。液晶も確かにシャープだし、3Gの表示もLTEとなってます。地下鉄内の通信状況が良くなった感じがしました。一つ困るのは、ケーブルの先が従来と違う形状になっていること。ケーブルは職場に一つ予備を置いているのと、予備バッテリーに接続するためにカバンにもいつも一つ持っているので、これだけ予備を追加で買わなければいけないかもしれません。4Sの方はパケット通信はできなくなりましたが、電話はできるらしく、新しい5との間では通話料無料とか言ってました。現在、バックアップに以前使っていたドコモの携帯電話の契約を維持していて、家内と子供が帰国した時に使ったりしているのですが、これは解約しても大丈夫かもしれませんね。
 その後BIC CAMERAの5階のApple Storeに行ってMacbookAirをさわってみましたが、さすがにこれは衝動買いする訳にいかず、見るだけとしました。モバイル用のWiFiルーターを持っているのですが、Macbook Proはさすがに毎日持ち歩くには重すぎるので、そのうちAirにしようと思っているものの当分無理そう。
 1時ころ帰宅して、昨日の夜作ったペパロンチーノの残りを温めて遅いランチをとりながらPCでiPhoneのデータ復元をしたりしているうちに日が暮れてきました。今夜はちきりんの本の抜き書きをポメラで作って寝ようと思ってます。まずまずの週末ってところでしょうか。今日は休肝日にします。

 

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縦のものを横にする

 今朝は何だか体がシャキッとしない。昨晩、早目に寝たのだが、夜中の1時ころ目がさめてしまい、そこから2時間くらい本を読んでからまた横になったのだが、なかなか寝付かれず、ラジオを聞きながらうとうとしたまま5時ころ起きだしたのがあまり良くなかったらしい。
 PCを起動して画面をながめていても、目に負担がかかって字を読みたくないのだが、ここでふと思ったのは、「横書きの文章が読みにくい=目が疲れる」ということだ。これまであまり意識していなかったが、目を左から右に移動させるのが疲れるのだ。ためしに縦に目を動かしてみると、この方が楽な気がする。相当目が疲れていると思うのだが、そういうシチュエーションだと、縦書の方が明らかに読みやすい。
 ということは、朝起きて目が重いと感じたら、横方向の目の体操をするとウォーミングアップになるのかもしれない等とも思ったが、いずれにせよ、縦書きと横書きの問題は、一つ頭の隅に置いておこうと思った日曜日の朝でした。

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塩梅

 鳩山元首相が、尖閣諸島をめぐる発言でまた物議をかもしている。"Trust me."というフレーズは個人的に少し好きな言葉だったが、この人のおかげですっかり使いづらくなって迷惑している。それはそれとして、発言の中で、「棚上げ」の合意があったのは確かだという事を言っているらしい。この問題を巡って当時の周恩来首相と田中角栄首相の間で「棚上げ」という合意があったと言われている事を指している。いわゆる高度な政治的判断というやつだ。
 これについては、先日も中国側の高官が「棚上げ」合意があったという発言を公の場でしていたので、個人的には「あれっ?」という印象を持ったものだ。私の感覚では、中国のカルチャーからすると、そういうことは公には言わないような気がしていたからだ。これに対し日本政府は否定の発言をしていたと思う。こういったやりとりを見ていると、「高度の政治的判断」もあったものではないという感じがする。実体はどういう事だったのか知るよしもないが、政治の世界はどこの国も最近は「塩梅」というものが分からない人たちが運営しているらしい。
 ウィキリークスが各国の極秘情報を暴露したり、CIAの元職員がアメリカ政府の情報収集に関する秘密情報を暴露したり騒々しいが、インターネットの時代になって、政治をとりまく環境も大きく変わってきたのは確かだろう。いや、それは政治の世界に限った事ではないのだろうが、一方で、何でもかんでも「見える化」すればいいというものでもないような気もしている。「見える化してもしてもまだまだある」というのが現実だと思うが、片や「知らぬが花」という事も確かにあるのだと思っている。そこを「うまく」塩梅したいものだ。大人になるってのはそういうこともあるんじゃなかろうか等とも思っているのだ。

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メガネ

 老眼が進んできたので老眼鏡のレンズを替えてみた。今度は「中近両用」というレンズを勧められたのでそれにしてみたが、すこぶる調子がいい。「近」の方も、度があっているので、新聞の文字も細部まできちんと見えている。これで目の疲れも多少はやわらぐのだろうか。歯の修理も一応終わって、あと1回下の歯のクリーニングに行くだけだ。とりあえず目に見えて調子の悪い部分のチューニングは終わったという感じだが、昔、「ハスラー2」という映画で、アル中気味に落ちぶれたポール・ニューマンが若いハスラーに挑戦するために、生活を一変させて、メガネも新調するシーンがあったのを思い出した。
 このビデオは、アメリカに行った時に最初か2番目に買ったものだった。もう手元にはないが、当時日本で映画のビデオが相当高価だったのに、彼の地では10数ドルだったので、結構ビデオを買い集めたものだ。ハスラー2については、英語がよく聞き取れなくて、筋を今一理解せずに見ていたのを思い出す。その頃はキャプションを表示する機器も手元に無かったので、ひたすら英語を聞きとろうと悪戦苦闘していた。ちなみに渡米して最初に買ったのはマドンナのCDだった。2枚めがエルトンジョンという所までは覚えている。
 ちょっと脱線したが、メガネの話だ。レンズの場所によって度数が違うのだが、室内程度であれば、少しレンズの場所を変えると大体鮮明に見える。物がはっきり見えるというのはありがたいものだ。もう無くなった母は近視で若い時からメガネをかけていたが、晩年に白内障の手術の後視力があがってメガネが無くても今まで以上の視力が出て驚いていたものだ。
 何か、ある事を考え出すと、昔の事がいろいろ思い出されるのは歳のせいだろうか。一方で人の名前が思い出せなかったりするから、これはやはり歳のせいだろう。老眼が進むわけだ。

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投資効果

 目の不自由な人のために、道路や駅のホームに誘導用の黄色いブロック(いわゆる点字ブロック)が埋め込まれている。2〜3年前、町屋の京成線の入り口の1メートルほどのスロープに設置されている点字ブロックで足をすべらせて、もんどりうって転んだことがある。おまけに、自転車侵入防止用のアルミニウムの杭にしたたか頭を打ち付けた。まわりで見ていた人が「大丈夫ですか」と駆け寄ってきたくらいだ。雨が降っていて濡れていたのと、縦縞のブロックがスロープに沿った方向ではられていたので、すべりやすくなっていたのだ。
 「クソッ」と思いながらその時ふと考えたのは、これだけの点字ブロック設置とメンテナンスにどれだけのコストがかかっているのだろうかという事だ。バリアフリー推進に逆行するような事を言うと誤解を受けそうだが、投資効果というものが何らかの形で検証されているという話は一度も聞いた事がないなと思った。それはそれで片手落ちではないかと、すりむいた左ヒジをさすりながら考えたものだった。まあ広く知られていないだけで、支出をする際にはちゃんとチェックはされているのでしょうが、こういった設置されていたがゆえの事故というものもある事も考慮に入れてほしいと思ったというイタイ話でした。

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バーボン黒烏龍茶割り

 歯につめていたものが取れてしまってから1ヶ月程たってしまったので、思い腰をあげて先週末歯医者に行ってきた。田端に住んでいた時から行っている駅前の歯医者だから、かれこれ10年くらい通っている所だ。
 仕事を終えて7時の予約時間まで少し時間があったので、田端駅のTSUTAYAで15分程時間調整。治療は簡単に終わり、一緒に上の歯のクリーニングをして終わり。ただ、他にもう一箇所つめた所が傷んでいるので後1回来てくれというので、本日また行ってきた。予定では下の歯をクリーニングして今回のセッションは終わりのはずだったのだが、他にも虫歯を発見したということで、急遽麻酔をして治療が始まり、また来週の火曜に行くハメになってしまった。
 麻酔がまた結構強力に効いていて、1時間くらいで物を食べていいと言われたのに、3時間たっても口の右上から鼻にかけてしびれ感覚が無い。苦労しながら少し食事をして、バーボンをオンザロックで今飲んでいるのだが、グラスの冷たさを唇の左側では感じるのだが、右側は何かちょっと熱いくらいの感覚がしてヘンな感じである。
 調子にのってバーボンを入れすぎたので、会社に持っていっている黒烏龍茶の残りをKlean Kanteen のボトルからグラスに入れて、バーボン黒烏龍茶割りにしてみた。これはこれでOKだ。
 等々、下らない事を書いてみたが、このような内容はTwitterで「フォアローゼズ黒烏龍茶割りなう」で本来終わりの話である。

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男は度胸

 最近読んだ小山龍介氏の本に面白いくだりがあった。曰く
「こうして修羅場を経験しなければ身につかないものに、『度胸』があります。どんなことが起こっても動じず、しっかり受け止める度胸は、本を読んでも、人から話を聞いても、身につきません。唯一、自分自身でそうした状況を経験し、やり抜くことによってのみ、身につくものです。現代においてもしかしたら、度胸ほど軽視されている『スキル』はないかもしれません。(中略)そうした度胸を身につけるためにも、修羅場にあえて踏み込んでいくことが重要です。そして、こうした修羅場を経験した人だけが次の時代に活躍できるのです。(中略)そしてなにより、修羅場での苦労を分かち合う中にこそ、人生を通じた本当の人脈ができる。これこそ、修羅場に向かうことの最大のメリットです。同じ修羅場に踏み込むメンバーの間では、同じ覚悟が共有されています。(中略)プロジェクトが成功して『よかった!』といっしょに手をとりあって喜び合えるのは、こうしたドラマをともに分かち合った仲間だけです。」
 困難なプロジェクトをやりとげた時、苦楽を共にしたメンバーと「またいつか機会があったら一緒に仕事がしたいね」と言い合える事が仕事に向かう最高のモチベーションになるものと私もこれまでの何十年もの経験から考えている。
 「あえて火中の栗を拾う。」「男は度胸、女は愛嬌。」昔の人もうまい事を言ったものである。

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信号待ち

 1990年代の中頃にロスアンゼルスに勤務していた時、かなり長い期間に渡って仕事上頭を悩ませていた事があった。前任者が解決を先延ばしにしたままにしていたトラブルを引き継いだのだが、私自身もうまく解決できないまま1年以上の時間がたってしまっていた。
 ある日のお昼どき、そろそろこれは何とかしなければ大きな問題になりそうだと考えながら鬱々とした気分で一人でオフィスを出た。近くのピザ屋のカウンターで3ドルくらいのピザのピース2切れに乾燥させて細かく刻んだ唐辛子をたっぷりかけて、コーラで流しこみながら方策を考えていた。
 いい考えが浮かばないままうかぬ気持ちで店を出ると、気分とはうらはらに空はあくまで青く、乾燥した空気がいかにもカリフォルニアらしかった。ブラブラと歩いてオフィスに向かい、途中の信号が赤だったので立ち止ってぼんやりしていた目の前を、ゆっくり乗用車が通りすぎた。ふと見ると、後部座席の子供が窓ガラスに額をくっつけて私をジッと見つめているのに気がついた。
 5歳か6歳くらいだろうか、明らかに知恵遅れと分かる子供だった。運転しているのは、その子の母親だろうか。子供は窓ごしに私の方を無心に見つめていた。車が行きすぎても、ずっと私の方を見ている。表情の乏しいその顔からは何も読み取れなかったが、私は「あっ」と思った。「何で自分はこんなつまらない事で思い煩っていたんだろう」と。いままで心の中でわだかまっていたものがパチンとはぜて、前向きな気持ちがわいてきたような気がしたのだ。気持ちの持ちようがほんの少し変わっただけだったが、そのちょっとした心の変化がその時の私にとってはありがたかった。
 もう20年近く前のほんの2〜3秒の出来事だったが、今でも信号待ちをしていると、あの時の子供の瞳と、カリフォルニアのまぶしい太陽がフッとまぶたに浮かぶ事がある。

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写真

 フィルムで写真を撮っていた頃は1枚1枚に真剣だった。大学生の時にヨーロッパに1ヶ月の旅行に行った時に36枚どりのフィルムで5〜6本くらい写真をとって帰国した。現像代もそこそこ高かったので、一つのイベントでそれだけの枚数をとるのもその当時の自分ではあまりなかった。貧乏旅行だったのでおみやげは全然買えなかったけれど、写真は大量にとったのが旅の思い出になると強がっていたものだが、それでもせいぜい200枚程度だから、今から考えると枚数としては全然少ない。それらの写真も今はどこにいったのやらである。
 デジカメの記憶容量が莫大になったので、千枚単位の写真がメモリーに入るこの時代、写真の位置づけも大きく変わっている。デジカメがマーケットに出始めた頃、山根一眞さんが雑誌DIMEの記事に、「銀塩カメラと違い、ランニングコストがほぼゼロ」と強調していたのが今も記憶に残っている。
 しかし、今では小さいデジカメも持ち歩くのが面倒なので、旅行に行っても殆どiPhoneのカメラで済ませてしまっている。撮った写真は暇をみてPICASAにアップロードして家族にシェアしたりしている。ただ、結構枚数はあるものの、ブログやFacebookに掲示してもいいかなと思えるようなこれぞといった写真があまり無いのは、いい写真を撮ろうという集中力に欠けているからだろう。フィルムの時代は、写真の構図や光、ピントの具合も一応考えながら「一枚入魂」という気持ちで撮っていたが、最近はただ「記録」するレベルの意識なのがいけない。ネット上のアルバムも、もう少し取捨選択して構成した方がいいのかもしれない。そのうちにやろうと思っているのだが、この調子だと、今後も撮りっぱなしの写真の山を築いていきそう気がする。
 撮りためた写真を選別して、コメントをつけたアルバムは自分にとっては大事な財産になるとは分かっているのだが、なかなかマメにやれない所がダメである。

 
 

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