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投票率を見て思う

 昨日の参院選の投票率が52.61%で、過去3番目に低い数字だったらしい。自分の子供の頃の記憶では、選挙の投票率は普通60%を超えていて、それでも何か低いといった感じで報道されていたような気がする。
 投票権のある人の約半分の人の意見で政治が決まるとうのはいかがなものかという疑問は確かにあるのだが、一方で今回の選挙では、政治に一定の距離を置いている人が相応に増えているのではないかという気がしたのだがどうだろう。
 Hackシリーズの小山龍介さんのように「白票を投じた」という人もいるが、政治に無関心ではないものの、あえて投票しなかった人も確かにいたのだろうなという気もしてきた。その背景としては、従来のように「国」という概念に一定の距離感を持つ人が少し増えたのではないかという感覚がある。これはあながち「政治に無関心」といった、従来のステレオタイプな言い方では説明しきれない領域に入ってきたような気もするのだ。時代の変わり目にさしかかっているのかもしれない。
 直接的に関係は無いが、AppleやAmazonのような企業が節税のためにありとあらゆる対策を講じていてけしからんという事が最近マスメディアでしきりに取り上げられていたのを思い出す。だが、見方を変えると、こういったグローバル企業からは、国家も「選別される時代」になってきたと言えなくもない。古くはテニスのビヨルン・ボルグのように、高額の税金を逃れるために国籍を変えて非難された例もある。節税か脱税か。税金を収めないという事については「それでいいのか」という議論は必要だが、一方で国自体も税をめぐる環境の変化に制度の変更が追いつかない状態と言えなくもない。
 昨日の日経新聞だったろうか、「投票できる幸せをかみしめて」という記事があった。確かに例えば中国では我々が当然と思っている「投票」という枠組み自体が無い。その他の新興国でも投票の透明性が疑われるケースはよくある話だ。先日のマレーシアの国政選挙でも、国を二分したイベントとなったが、選挙はいささか不透明なものだったようだ。アメリカの選挙でも投票用の機械に不正なプログラミングがされていたというニュースもあった。そうしてみると、日本の投票制度は極めて健全に運営されているのかもしれない。しかし、大震災、原発事故等の厄災を経て、「政治は所詮政治」という感覚が一般にじわっと浸透したような気もする。
 オフショアを利用したグローバル企業は一つの例だが、税にかぎらず、徐々に個人レベルでも同様な意識が浸透してきているのかもしれない。我々日本人がこれまで何の疑いもなく当然と思っていた都道府県制に対しても、道州制の議論がようやく認知されるようになってきた。その先に「国」の概念も従来とは違った議論があるのかもしれない。常に制度や法律は現実を後追いするものだ。「選挙への無関心」といった言い方はもはや古色蒼然たる(団塊の世代の人たちの?)言い方かもしれないというのが今朝の私の感覚だった。投票率の低さは、逆説的にはそういった独立自尊の個人が増えたのかもしれないという意味で日本にとって悪い現象では無いかもしれないというのはうがった見方だろうか。
 星の一生を考えてみよう。地球自体もどのくらいの先になるのだろうか、無くなってしまうのかもしれない。その時は文字通り「人っ子一人」いなくなるのだろう。その時間軸と、目の前の出来事の比較はどう整理すればいいのだろう。

・・・等々、話が収集つかなくなる程度に今晩は酔っぱっているということで、対不起。 orz

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