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2016年3月

ルネサンスとは何であったのか

昨日の日曜の朝、塩野七海「ルネサンスとは何であったのか」をオーダーしたら夜にデリバーされてきたので、読み返している。

読み返しているというのは、何年も前に次女の文庫本を借りて読んだ事があるためだが、本を返した後も「『見たい、知りたい、わかりたい』という欲望の爆発が後世の人々によってルネサンスと名付けらることになる精神運動の本質でした」という一文が頭に残っていたものだ。

「ではなぜ、見たい知りたいわかりたいという欲望が、あの時代になって爆発してのですか」
「それまでの一千年間、押さえに押さえられていたからでしょう」
「誰が押さえていたのですか」
「キリスト教会が。イエス・キリストの教えのうちの最重要事は、信ずる者は幸いなれ、です。つまり天国は、信ずる者にのみ開かれているというわけで。この反対は、疑うということです。あなたのように、”なぜ”を連発する態度からして、あなたはすでに”ルネサンス精神”があるということになる」
「となれば、天国行きは絶望的ということですね」
「ルネサンス以前の中世に生きたキリスト教徒であれば、望み薄ですね」

最初に読んだ時(東日本大震災の前だった)から既に数年経って、私自身の考え方もそれなりに変わってきた事もあり、読み返してみると、以前ピンとこなかった事が腑に落ちる箇所が結構ありそうだ。少し腰をすえて読んでおこうと思う。

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入るのは簡単だが出るのは大変

マレーシアに留学している末娘がこの6月に高校を卒業するので、いくつかの大学に願書を出している。日本の一般の大学受験とは異なり、帰国子女、OA入試等々、大学によって条件が異なるので、受験できる学校も限られてくるとはいえ、上の3人の娘で経験しているのでさほど戸惑いはないのだが、面白いなと思ったのは、今回始めてオーストラリアの大学にもいくつか願書を出してみた事だ。出願して数日でConditional Offerという連絡が来た。条件というのは、高校の最後の成績を出す事などだが、基本的には、送付した資料で一定の基準をクリアーしていて、とんでもない学生でない事が分かれば、残ったいくつかの資料と学費をきちんと払い込めば入学を認めるというオープンなスタンスを感じた。ただ、アメリカ等の大学と同様、卒業するのは難しいということのようだ。よく「入るのは簡単だが出るのが難しい」という言い方をされるが、実際に体験してみると極めて大学経営上合理的なスタンスだなあと感心する。ダメ学生を入れても、進級させず、きちんとした学生だけ卒業させていれば、そこそこの学生数を確保して経営を安定させつつ、卒業生のレベルは落とさずに大学の評判を維持する事ができるという仕組みのように見える。だから学生もそこそこ勉強するのだろう。なるほど、そういう事だったのかと膝ポンであった。
片や日本の大学はどうか。過酷な大学受験を勝ち抜くところで燃え尽きて、大学4年間を無為に過ごす学生が随分いるのではないだろうか。これはそもそも仕組みが違うんだなあと思った次第。日本の大学、負けますよ。これでは。
あと、日本に海外から留学生を増やそうとして、政府が学費等をばらまいて優遇しているが、アメリカ、カナダ、オーストラリア、中国等々では、外国人の学費は現地学生の数倍が普通だ。上海で話した中国人で、日本の大学を日本からの奨学金でタダで卒業し、中国に帰って日系企業に就職して、現地人の数倍の給料をもらっていた人がいたが、日本からの支援に対する感謝の気持ちは微塵も無いようだった。ここにも無駄に税金が使われているのだ。

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